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システム・クラッシャー/システム・クラッシャー 家に帰りたいの苹果のレビュー・感想・評価

4.5
人よりも(ほんのちょっぴり(?))傷つきやすくて、衝動的で、自由でありたいというだけで、人が構築したシステムにこんなにも乗っかれないものなのだと、ただただ呆然と観ていました。
多様性の尊重は、※ただしルールを守れるならば、という注釈付きでもあったりする。
現行の社会システムはそれを守れる人には優しくて、そこからはみ出てしまった人たちに対して社会はどう向き合っていくのかということを、綺麗事抜きに現場の困難を見事に炙り出している、ほとんどモキュメンタリーのような作品だと思いました。
おそらく生育歴や脳の構造がほんの少し違うというだけで、これは誰にでも起こり得る物語で、かつ物語ですら無いのかもしれません。今こうして何気なく生きている日常のすぐ隣や、もしかしたら目の前でまさに起こっていることなのだと言えます。

システムクラッシャー(という名前もマジョリティ側がつけた、非常に無遠慮な名前だが)に対して社会ができることは、医療的なアセスメントと介入、専門家による愛着形成、本人を保護できる環境設定、社会生活訓練など多岐に渡ると思います。訓練を積み重ねたプロであっても上手くはいかず、治療プロセスが如何に困難であるかをありありと体感できました。

具体的な内容に言及すると、ベニーが赤ん坊に顔を触らせてもなんともなかったのは、本当に、まさに一筋の希望の象徴でした。愛を注ぎ続ければ、きっとこの子も誰かに愛を与えられるかもしれない、嫌なことが嫌ではなくなるかもしれない。そう感じました。
支援者が自宅に招いたことによる功罪もお見事でした。システムクラッシャーとの距離感を見誤ると、自立どころか退行してしまいます。支援者が客観的な視点を常に持つことは、そう簡単では無いと思います。嫌いにもなるし、あるいは好きすぎてしまうかもしれない。少し関係が築けたと思えば、途端に依存してくる。距離感を保つことは一筋縄ではいかず、経験を積めば積むほどきっと冷淡になっていくのかもしれません。自己開示も時には有効で、本人の自己肯定感に繋がることもあるでしょう。個別のケースによるとしか言えないですね。個人情報を伝えない、勤務時間外には会わないなどのルールがもちろんあると思いますが、ルールを守れない人を守るためのルールが必要なのもまた皮肉で、社会システムの限界を感じます。
母親の胸糞っぷりがコメント欄で散見されますが、親が持つ責任や社会からの重圧によって、もう限界になってしまったんだなと思います。少なくともあの時点での母親に養育の環境や能力や責任を押し付けることは現実的にはできない。
「悪は存在しない」。
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