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五億円のじんせいのmiiのネタバレレビュー・内容・結末

五億円のじんせい(2019年製作の映画)
4.8

このレビューはネタバレを含みます

記録。


観終わって、誰かとハグしたくなるような映画。
いい子でいることに潰されてしまいそうなみらいちゃんを、救ってあげたいと思う人がたくさんいて、でもそれは5億で助けてもらったときとは違う。みらいちゃんの純粋さや素直さやかわいさが、優しくしてあげたいと思わせる。「どうして優しくしてくれるんですか」無償の愛ともいえる5億に苦しめられてきたみらいちゃんだからこそ、自分の価値を見出せずに他人からのやさしさを不思議に感じている様子はすこしせつない。

「旅行と旅の違い」
「優しい人と優しくない人がいるんじゃなくて、優しくしてあげたい人と、そうじゃない人がいる」
この二つのキーワードがじわじわと物語を繋げてひとつになる。

「旅は、ここじゃないどこかに行くこと」
「人は死んだら旅に出るんだよ」
イコール人は死ぬけれどそれはここじゃないどこかに行くだけ。旅行のように好きなところに行くわけじゃないけれど、どこか、ここではないどこかへ。それはやさしい真実なのかもしれない。

個人的にはOLのかなこさんとみらいちゃんのシーンが一番好きだった。
思ったことをしゃべりすぎてしまうかなこさんと、思ったことを話せずにいたみらいちゃん。正反対だけどパズルのピースのようにパチッとハマるような感覚。
「人って基本的にはずっとさみしいんだよ」
たった一瞬、一瞬かもしれないけど、無力な自分とふれあうことでそのさみしさが拭えるのなら、と体を差し出すみらいちゃんに、それだけで救われたかなこさん。
「それ、子供に言っちゃう親もどうなの?」。言いすぎてしまうかなこさんの言葉に、僕もそう思ってた、でも言えなかった、きっとそんなふうに思うことさえどこか罪悪感を抱いていたみらいちゃんが救われる。なんて相性のいいふたり。添い寝カフェっていうのがちょうどいい。ほんとうは、添い寝だけでもよかったんだ。

銀河鉄道に挟まれた宝くじも、かなこさんがくれた一万円も、携帯の裏の五千円も、五百円なら買うジッポも。それぞれの価値はお金では測れない。ジッポに価値を持たないみらいちゃんになぜジッポを渡すのか。この子にとって無価値なそれは、自分が持つより価値のあるものとして持っていてくれる、そう思ったから。

名シーン、名台詞の多い映画だったなと思う。表現の難しい感情を丁寧に丁寧に映していくさまが愛すべき作品だなと思った。



宝くじ当てちゃうのってどうなの(笑)?みたいな人も一定数いると思うけど、おじさんを信じられなかったことを文字通り死ぬほど後悔するみらいちゃんに、さらに追い打ちをかける2億の宝くじってとこに意味がある。ジッポの価値を決めるのは買う側なのと一緒で、2億の宝くじはおじさんにとってみらいちゃんに渡すことで価値を持った。それが皮肉にも「死ぬ権利」としての「5億」になってしまう。この物語はどこまでも深読みしたり掘り下げていくことのできる物語。命の価値とお金の価値の話に最適解はないから。


批判や指摘や小馬鹿にするようなレビューは絶対に書かない。なぜならすべての芸術的コンテンツは誰かの心に届いた瞬間から「そのよさがわからない人間」という外野がどうこう言うのは野暮だと思うから。芸術っていうのは筋を通さなくてもいいこともある。
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