家族で撮るとは、
ままルノワールだが
わたしたちがポジを与えられるのは、そのネガを作るためである。
p246 カイエ・デュ・シネマ・ジャポン ユリイカ ジャン=リュック・ゴダール
家族写真家。
津波、写真、それから
--LOST&FOUND PROJECT--
妻夫木は偉い、助演で、透明感のままの出で立ちでそこにいる。
風吹ジュンは最強だし、平田満は最高にマッチしている。菅田将暉すら面白く貴重なキャラクターだし、衣裳完璧、篠原ゆき子もいい。北村有起哉も素晴らしかった。二宮和也は、硫黄島以外で一番よかった。
美術も撮影も。
中野量太で、心底いいと思えた。というより主題が彼のものでもあったか。
赤々舎。
流され泥にまみれ傷だらけになった家族あるいは誰かの、への宛先である写真とは、見ず知らずの者からすれば、二重の痕跡と匿名性があるが、実際にあのときに見る実感としては、その量からしても不気味なものの物言わぬ情念がそこに微かにあったはずで、まだ行方の知らぬものならば、たぶんにすでに死者の写真を見ているのかも知れず、それらを紡ぐ唯一の共有可能性は文字通り映画の語りと俳優による。打ち捨てられた最後の希望ならぬ希望が、膨大な物としてのアーカイブであるならば、写された写真を映すとき、果たして写真に音楽は必要なのだろうか。
津波は写しえないが、伊勢の濃紺の波は映っていた。
家族写真家は分かったので、
湯を沸かすほどの熱いポジを期待しつつ、家族を離れた映画(ネガ)を進めていただきたい。