パンピー

デジモンアドベンチャー LAST EVOLUTION 絆のパンピーのレビュー・感想・評価

3.5
tri.を鑑賞せずにいきなりこちらへ。
思い出ボムのせいでバリバリ号泣してしまったけど高評価は付け難い。

幸い?にもデジモンど世代だった鑑賞を義務付けられているかのような心持ちで鑑賞したけたどうーん、これは1歩足らず。
俺が演出と脚本をやればもっと泣かせることができた。
本物のデジモンを知ってる身故かイマイチデジモンという感じがない。デジモンの皮を被った何か、ガブモンかよ。

選ばれし子供たちが大人へなり声が変わるのは仕方なし、しかしやはり52話で語られた子供たちの個性やそれぞれ紋章の意味の見せ場はなかった。
当時のアニメというものは、技を出す際に必ず技名を言わなければいけないという謎ルールがあった。子供のころはその歯がゆさが気にかかっていたがいざなくなってしまえば寂しいどころの話ではない。
無言で出すメガフレイム、無言で出すエアショット、プチサンダー、ポイズンアイビー、バードショット、猫パンチ……
ギガデストロイヤー……
技名を叫んでくれよ……と悲しくなった。
アニメではあんなに時間をかけ、出し惜しみしてディアボロモンを打ち破ったオメガモンすら尺の関係かスッと登場してしまった。

しかし今回俺が提唱したいのは、この映画はデジモン世代が大人になる通過儀礼に近いものがあるというものである。
当時デジモンに熱狂した少年少女たちはアラサーに近くなった。デジモンに再び触れ俺を含め多くの少年少女たちは童心に帰ったであろう。
今作ではパートナーデジモンとの別れを大人になるという成長と言う形で描かれている。正直昇華というには浅はかだがわかりやすい。
敵役の主張と主人公たちの使命の対峙するテーマは非常に良かった。パートナーデジモンとの別れを拒み、ネバーランドでの永遠の時間の中で生きる。俺は素直に敵役の主張に溺れてしまった。
嫌々ながら大人というものを知りもせず知ろうともせず大人になってしまった。何度子供へ帰りたいと思ったか分からない。
大体のこういう映画のテーマでは主人公側の主張が常に正論という形が多かった。今作では「前を向いて成長を拒んでは行けない、受け入れなきゃいけない」という主張だった。それが大人になるということ。

一方敵役の主張は真っ向から否定するものではなく「成長を否定してもいい」という、ベクトルの違うアンサーを提示してくれているのである。
今作を見てどれだけの少年少女だった人達が敵側の主張に心を動かされたかは知らないが、少なくとも俺という"元少年"は永遠の時間に魅力を感じてしまった。別れや理不尽を受け容れられるのが大人というのなら俺は大人になんてなれなくていい。

結論、俺は大人へはなれなかった
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