桑原

ミッドサマーの桑原のレビュー・感想・評価

ミッドサマー(2019年製作の映画)
4.3
●田舎に泊まろう Directed by アリ・アスター
一宿一飯の恩義は、自らの血肉で!


『脳内お花畑なティーンエイジャーが、後ろめたい因習に首を突っ込んで、首が飛ぶ。』

みたいな、よくあるホラーをアリ・アスター節全開でやるのかな、なんて愚直に思っていたのだが、本当に愚かでした、皮剥ぎされちゃう。

そんな、よくあるホラーの恐怖の根源というのは、「逃げられない」の一言に尽きる。
自らの行動はおろか、命さえも自由ではない抑圧された状況こそが、展開の不透明さを生み出し、登場人物と視聴者は恐怖を感じる。

ところが『ミッドサマー』はどうだろう。
暖かく迎えられ(よそ者は訝しげに睨まれるのが典型)、飛び降り儀式を目の当たりにし、動転しようものなら懇切丁寧に説明され、お互いを理解しよう、と低姿勢で説得されるではないか。

中東系カップルの2人がどういった経緯で命を落としたかは一度見ただけでは不明であるが(村人によって手にかけられたのだとは思うが)、よそ者達が一致団結して逃げようと思えば、おそらく簡単に逃げられる状況でありながらも、それをしない。ある程度の自由がある中で選択しているにも関わらず、登場人物がことごとく不幸に見舞われる。

●「不透明さ」=「恐怖」

では、この映画における「展開の不透明さ」はどこから来ているかというと、文化の違いではないか。
・食事の時は年長者から手をつける(カトラリーを次々に手に取るシーンの美しさといったらたまらない)

・踊りや歌の所作(これもまた、清らかなハイトーンボイスと、螺旋状に舞い踊り、ひるがえるスカートのシルエットが非常に美しい)

・徹底した他者への共感

パッと浮かぶところはこの3つだけなのが、恥ずかしいのだが、この「よそ者はどうしたらいいか分からない」感じが、たまらなく不安にさせる。
間違ったら叱責されるのではないか?
という、しきたりやマナーを理解しているからこそ生まれる不安。
「葬儀における焼香、よくわからん問題」に通ずるものがある。
こういった不安や不透明さは、追いかけ回される形式のホラーでは味わえない緊張感があった。

●明るいことが怖い。そう??

プロモーションの中での惹句として、明るいことが怖くなる、といった旨の内容が使われ、それらに同調する感想も多く見受けられたが、自分はここまでではなかった。明るいことでゴア表現をありありと描くという点では『グリーンインフェルノ 』に軍配が上がるし、明るいシーンが多いことで、暗くなった時の緊張感が増すかと言われるとそうでもない。徹底したビックリ演出の排除により生まれる、じんわりとした不安感や緊張感は、『ヘレディタリー』から変わらない素晴らしい点だ。

では、終始明るいことによる効果はどこに感じたかというと、「時間経過」がイマイチ分からなくなることだ。
我々受け手は、作中内において数日、数週間、果ては数十年。といった期間を数時間で映画で体験する。
その圧倒的な時間感覚のズレは、我々にとって客観視が出来る余裕を生じさせるのだが、この映画ではホルドに到着後基本的にずっと明るい。

登場人物もそれで困惑することになるのだが、「時間経過」が分からなくなっていくことで、今体験していることが現実なのか、夢なのかといったことまでが確証が薄れていく。
受け手としても、その時間経過が不明なことで没入感が増し、底知れぬ不安となっていく。(ように個人的には感じた)
極端な例を挙げれば、ずっと明るいままであれば時系列をむちゃくちゃにした編集も違和感を減らすことが出来たであろう。
この作品では分かりやすいストーリー進行が取られる為、そういった時系列の変更はないと思えるが、「夜が来ない。」というたったのそれだけで、色々なことが歪んでしまうのだ。

●人間の持つ宗教観=人間の脳、そして精神構造

随所にゾロアスター教のマギや、イスラム教のスーフィズムを彷彿とさせる演出もあり、場所や人種が違えど、人間が抱く宗教観は限界がある。
つまり、他ならぬ我々も、ホルドにおける感覚に至ったとて、何の不思議もないのだという恐ろしさにヒヤリとするものがある。
桑原

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