濃密で閉鎖的な共同体、これは奇妙な村の日常の話。
サスペンスホラーと聞いていたからもっと頭の狂った人間が出てくるかと思った。
しかしこの映画に出てくる村、というか共同体の人達は洗脳されているだけで、頭が狂っているわけではない。
洗脳というか、個別意識の欠如。
共同体として生きるために個は必要無いらしい。
誰かが苦しい時、同じように苦しみ、泣き、叫ぶ。
ダニが泣き叫んだ時、仲間が燃えて苦しんだ時、崖から落ちて死に切れず
ジイさんが悶えた時、他の村人も泣き叫び苦しみ悶えた。
自分の喜怒哀楽は全て共同体と共に有り。
命でさえ共同体の一部である。
死んでも次生まれる子に命が受け継がれる。
それを喜とするように育てられている。
人間とは脆いもので、コミュニティに属するほど安定しやすくなる。社会的に。そして精神的にも。
現代こそ感じることは少ないが
歴史を遡るほど分かりやすい。
この村は完全アナログである。インターネットの存在は見えない。
金銭の流通さえあるか怪しい。多分無い。
そんな村でのコミュニティは生きてく上で必要不可欠。
稼ぐという観念がなく、適材適所の仕事を貰う、そして働く。
無いものは補ってもらう。
補ってあげることをまた然り。
この共同体はこうして成り立つ。
そんな共同体に属する事で
自由と個性を手放すかわりに
責任の放棄と孤独からの解放を実現し、安定を得た。
喜怒哀楽を共有するこのコミュニティは深く繋がり合い助け合い、個は全として、全は個として機能する。
ペレはきっと仲間を裏切ったとは思っていない。愛する共同体の伝統文化に貢献したと喜んでいる。
輪廻転生の当事者となる友人たちのことを誇らしくさえ思うだろう。
悪気は無さそうな笑顔があった。そこが怖い。
押し付けがましいにも程がある。
この儀式で死ぬことは信者でない人からしたら無意味である。
しかし儀式への参加を強制される恐ろしさ、儀式や民族自体の不気味さがこの映画のホラー言われる所以である。
話し合う、または分かり合うことができない時、恐怖を感じる。相手を理解できないから。
だからライオンに遭遇したら怖いし、宇宙人と出会っても怖いし、不気味な儀式をする宗教団体に誘われるのも怖い。
つまり未知は怖い。
ホラー映画は、薄暗い中から訳の分からぬ化け物が襲ってくるものと思っていたが
この映画では華やかにお花を振り撒き白い服に身を纏った民族が不気味に恐ろしい。
それは理解できないが故に
何をされるか分からない未知への恐怖と
死んで生命の輪に加わることを喜とする彼らはためらわずに自分のことも殺すだろうという死への恐怖だ
このような明るい場面での恐怖感へのアプローチは斬新で、しかし理に叶っているので見ているだけでもスリルがあり面白い。
そういえばパラサイトもわりとサスペンスホラー味だった。
このようなおかしな伝統のある民族や村は実際に存在すると聞く。文字としての情報ではフゥン。で済む事が
こう映像と音声で表現されるとゾクゾクとする。
この映画も本当に存在する民族ならもっとゾクゾクして面白いのに。
時間がゆっくりと進みすぎて途中退屈になってもぞもぞしてしまった。3時間半の映画くらいに感じた。
しかしダンス大会の頃からトントンとテンポ良く進んだ、そこらへんから共同体としての彼らの不気味な行動に笑いが止まらなくなった。
私はツボに入ると笑いの沸点が低くなり、男が深刻な顔でクマの死体に詰められてるだけでも爆笑してしまう。かなり面白かった。最後の方だけもう一度見たい。
ダニーが民族と儀式に恐れながらも、共に踊ったり泣いたり笑ったりする事でどんどん馴染み
最後、彼氏を生贄に選ぶことで
アメリカの生活や過去と自分を結ぶ者がいなくなり
完全に共同体の一部となる。
自分を守らない頼れない男を殺してニコリと笑う。
その時の笑顔が過去一かわいい。
さいごに、不思議に思ったことは
この共同体の若者が各地に飛び大学に通ったり働いたりするうちに自分たちかおかしいと気づいてしまうリスクがあるし、
部外者を呼ぶにしても逃げる人がいたら
マスコミとか観光客呼んだりして邪魔が増えてしまうリスクがあるのに
どうして外界との交流に積極的なのかな〜ということ。
存続したいならもっと閉鎖的にならなくちゃ、と思った。フィクションだし仕方ないよね。
コロナの影響で暇だからめっちゃレビュー書いてしまうの良いね。
シナリオ展開見せ方-2.5
映像の美しさや音楽の相性-4.5
配役や演技-4
内容の深度-4
内容の独自性-3
ave:3.6
(1:クソ、2:わるくない、3:すき、4:とてもすき、5:最高)