韓国で大ヒットしフェミニズム小説とも評される原作だが、社会運動として構えるまでもなく、日常的に会社やカフェや駅や生活いたるところで見られるシーンに置きかえてみれば、共感に満ちた118分。
ちょうど『女の子だから、男の子だからをなくす本』(ユン ・ ウンジュ)を読んだばかりでもあるが、こうした流れの端緒として韓国映画が新しい時代に入った一つの象徴的作品とも言える。
ジェンダーにひもづく役割期待由来の「生きづらさ」に限らず、それぞれの価値観から無自覚に放たれる言葉が生む抑圧の問題としても胸に残る。たとえば夫 デヒョンの仕事にフォーカスしてストーリーを追えば、順風満帆ではない苦悩の姿もそこにあるだろう。
話が少しそれたが、そんな誰にでも投影され得る“キム・ジヨン”を浮き彫りにするにあって、この映画版はキャスティングが光っていた。
教師への夢を諦めた背景を抱えてもなお明るく強く娘を支える母親役 キム・ミギョンは『サイコだけど大丈夫』同様に頼もしさ抜群(ただその母親像にまた無理がないかは本作観ると気になるところではありつつ……)。
『トガニ』に『新感染』と続いたチョン・ユミとコン・ユのコンビは安定した演技力に今回の関係性を加えた新鮮味があったし、あぶなっかしいジヨンの父親役のイ・オルは、「あぁなるほど『サマリア』の」と意外な驚きもあった。