あんしん

TENET テネットのあんしんのネタバレレビュー・内容・結末

TENET テネット(2020年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

 自らの死が人類の死と一致していてほしいという、自分こそが最後の人類でありたい、という、幼稚な思想。そういった考えは間違いなくヒトラーのそれであったし、オウム真理教のそれであった。自分の死に人を引きずり込もうとするセイターのような人は、戦わねばならない「敵」であるだろう。彼らは「未来」へと賭けていくことをしない。時を逆転させ、「過去」へ向かって生きようという「後ろ向きな」人間である。
 考察や解釈をいくつか読みました。咀嚼しきれてはいないけれど、理解できるかできないか、というのは案外大事ではないのかもしれない。説明できるということは、必ずしもこの作品の「理解」ではないような気がする。
 何回観て理解できた、とか、全然理解できなかった、とか、なんか貧困じゃないか。そんなに「理解」を焦って何になるのか。映画は課題でもタスクでもないよ。美学を学んでいた友人の言葉を思い出します。「解釈の余地、可能性があることが美のひとつの定義だ」と。たしかに一度観ただけではわからない。でもわかりたいと思うし、もう一度観たい。そう思わせるこの作品は間違いなく魅惑的であるし、多くの考察や解釈が生まれていることがこの作品の豊かさを十分すぎるほどに表している。でも、「理解できた」と「理解できない」との間にある空白に鑑賞者たちは耐えられないらしい。少しずつ理解を進めていく過程。ああでもないこうでもないとあちこち彷徨しながら作品へと分け入っていく過程。それを楽しんでみてもいい。というより、それをこそ楽しみたい。言ってしまえば、本作に限らず「作品」とはそもそも完璧な理解などできないものだ。読めた、理解できた、と口にしたとき、必ずどこかに欺瞞がある。見落としているところがある。だから、わからないままにもう一度観ようとする。誂え向きの解釈に甘んじるでも、こんなの絶対にわかりっこないと放棄するでもなく、わかりたいと思うという、そのことを大切にしたい。わかるかもしれないし、わからないかもしれないけれど。
 主人公がそれが自分自身だとはわからないままに「未来」から来た自分と戦うというシーンや、ニールが結果をわかっていながらも(いや、結果がわかっているからこそ)、銃弾から主人公を守り、主人公が通るための扉をあけるべく、再び逆行するというシーン。そういったところに言い知れない思いを抱きました。
 自分が原因を作ったから結果がある、というのは必ずしも正確ではなく、結果があるからそのための原因を作らなければならない、なんてこともある。だから、「起きたことは仕方がない」。それを成就させるために動くしかない。
 「未来」「過去」とはなんだろう。ここからみて後ろ向きに伸びている方が「過去」で、前方に伸びているのが「未来」なんだろうか。そのような線的な捉え方を疑ってみたところに「過去」も「未来」もあるのかもしれない。永遠への回路は、「未来」や「過去」といった端っこではなく、案外ちょっと横のところにあるのかも。
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