このレビューはネタバレを含みます
時間移動を相対性理論ではなくエントロピーの逆転で過去へ歩いていくというのが新しい。
ワープではなくビデオテープ巻き戻しのように逆行とは。
ニールがマックスだと早い段階で示唆されていたが欧米人でない日本人にはピンとこないだろな。
向こうじゃギリシャ神話も絵画もメジャーだし
我が子を喰らうサトゥルヌスを暗示させた時点でこの映画は「親の子殺し子の親殺し」が核になる事を匂わせる
そして子を喰らっているサトゥルヌスは時を司る神なのだ。
ノーラン監督はミスリードとして小物を使うタイプではない。
ニールが息子なのは確定している、ミスリードとするなら劇中で奴は息子だともっと大きく示してから否定しなければならないし。
ただ意味も考えずに採用した小物が偶然息子を暗示するものだったなんてミスをノーラン監督は絶対にやらない。
彼は小物1つとっても作品に相応しい意味付けをするタイプなのだ。
監督はニールとマックスが同一人物とは明言してないが、自分が監督でも尋ねられたらはぐらかすだろう。
断言すると途端に陳腐な作品になってしまうからだ。