青雨

TENET テネットの青雨のレビュー・感想・評価

TENET テネット(2020年製作の映画)
4.0
時代の声と語り手の心とが、幸せな結びつき方をした作品のように感じられ、監督としても、おそらく時代を生きる私人としても、クリストファー・ノーランの核心が表れていたように思う。

この映画の最大の見所は、順行する時間と逆行する時間とを、同一空間で映像として提示してみせたことに尽きる。またそれは、IMAX撮影も含めた意味での、映画職人としてのクリストファー・ノーランの真骨頂だったのではないか。

初期作品の『メメント』(2000年)に見られる、心理的な時間の順行と逆行を、物理的な時間の順行と逆行として再編したという印象もある。

こうしたアプローチは、ロバート・ゼメキス監督『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズのように、真の意味での時間というよりは、空間的なものとなり、しかしその空間性にこそ、映像職人としての本領が発揮されるのだろうとも思う。



タイトルの『TENET』に関しては、トリビア的なものは脇に置くとして、2つの点を抑えておけば、映画を味わう上で僕の場合は十分だった。1つ目は、左から読んでも右から読んでも同じであること。2つ目は、その意味が「信条や原則に基づいた主義(one of the principles on which a belief or theory is based)」ということ。

1つ目については、「順行する時間」と「逆行する時間」を端的に表しており、2つ目については「予見した未来に絶望して過去へ逆行しようとする主義」と「無知であることを希望にかえて未来へ進もうとする主義」とが衝突する話であることを表している(それぞれの主義については、それぞれの立場の登場人物たちが、様々なシーンで口にしている)。

大きな構図としては、ロシアの武器商人セイター(ケネス・ブラナー)が、地球全体の時間を「逆行」させようとする側の人間で、CIA出身の主人公の男(protagonist:ジョン・デヴィッド・ワシントン)が、それを阻止しようとする側の人間。映画冒頭のオペラハウスのシーンからセイターと対峙するまでに、様々な人間を介してようやくたどり着くものの、セイターが登場した瞬間にシンプルなvs構図となる。

他に主要な登場人物は、協力者で相棒となるニール(ロバート・パティンソン)、ムンバイの武器商人プリヤ、セイターの妻キャサリン(エリザベス・デビッキ)くらいだろうか。それぞれが、どのような位置づけと役割なのかは、映画の最後までいけば理解できるように作られている。

また、時間の逆行と、順行が入り乱れるアクションシーンがいくつか描かれており、1回観て気づく伏線もあれば、2回3回と観なければ気づかないものもあるなか、しかし1回観て気づける範囲で気づけば、映画の面白さを味わう上で僕の場合は十分だった。



こうした大きな捉え方をしながら、本作に僕が思うのは、やはりクリストファー・ノーランの未来志向だった。劇中で相棒のニールが述べる「起きたことは起きたことだ(What’s happened, happened)」というセリフもそうであり、主人公の男が述べる「この任務の主人公は俺だ(I’m the protagonist of this operation)」というものもそう。

未来予想をすることは1つの「知」であり、劇中でセイターが武器商人として成功したのも、主人公たちを出し抜いたのも、すべて「知」によるもの。また彼は、その「知」によって絶望してもいる。

いっぽう、主人公側は「無知こそ我々の武器だ」と言っているように、見取り図のように予見した未来像に従うのではなく、「起きたことは起きたこと」としたうえで、その場その場での最善の努力を尽くすことを主義(TENET)としている。希望は、そのような現場からしか生まれない。きっとノーランも、そう思っている。

さらに、CIA出身の主人公の男が、自身のことを「このミッションの主人公(protagonist)」と言うのも、僕たち1人1人が主人公として振るまうことでしか、希望を手繰りよせることはできないという監督の思いがあるように思う。これは、ムンバイの武器商人プリヤが「あなたは主人公のうちの1人にしかすぎない」と言うのとは対称的。

そして『インターステラー』もそうだったように、未来を切り拓くときに問われるのは「知」や「運命」といった外在的なものではなく、むしろ「無知」のなかから、内在的に立ち上げる意志であることを、ノーランは描いているように感じる。

明晰と言えば明晰であり、単純と言えば単純。けれど、それが時代の声であり、語り手の心なんだろうとも思う。
青雨

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