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私が、生きる肌のべのレビュー・感想・評価

私が、生きる肌(2011年製作の映画)
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人体改造、近親相姦、母体回帰、エディプスコンプレックス、などといった様々な道徳的禁忌に触れている作品。この作品を世に送り出せたこと自体が奇跡とも言えるのでは。
余りにも論じるテーマが多すぎるので中でも人体改造及びアイデンティティやエディプスコンプレックスの問題について少し。まず、ビセンテという青年の身体に膣が付与された場面。これは女性性の獲得であり、男性器及び男性性の喪失を表している。更に彼は複数回の手術を経て声や体つき、顔つきに至るまで“女性”へと変えられていく。最終的にビセンテは「ベラ」という名前を与えられ、性別どころか「ビセンテ」という自己さえも喪失してしまう。最早彼を「ビセンテ」たらしめる要素は一つも無く、彼は「ベラ」という一人の女性になってしまったのである。途中でセカという男性に襲われる場面があるが、この場面では既に「ベラ」として、即ち女性としてセカに抵抗している。
そんな彼がどのようにして「ビセンテ」としてのアイデンティティを再び獲得するに至ったのだろうか。それは彼を「ビセンテ」として捜し続ける母親の存在だ。母親がビセンテを探している事を新聞記事にて知った彼は、その日の内に自分を手術し監禁したロベルを撃ち殺す。つまり「ベラ」にとっての擬似的な父を殺したのだ。これはエディプスコンプレックスの克服と言えるだろう。その後に彼は「ビセンテ」として母親の元を訪ねる。この場面はある種の母体回帰の表現とも言えるが、彼が「ビセンテ」としてのアイデンティティを再獲得した象徴的な場面なのである。
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