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フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊のTYのネタバレレビュー・内容・結末

4.2

このレビューはネタバレを含みます

ウェスが遂にテキスト自身にも肉体を与えようとしてきた。
本作では、いわゆる「ウェス節」はそのまま貫徹されており、具体的には建物や人物にその機能を有するネームプレート的装飾を施す、カメラワークとしては基本的にフィックスにしつつも軸回転や水平移動を多用する、絵作りはスタティックでパステルカラーを採用する等が指摘できる。
でも本作では過去の「ウェス節」から拡張された表現技法の方に注目すべきだろう。それが本作で彼が描きたかったことを手法の面から探る契機になるはずだ。
1点目は画面上に表示されるフレンチ・ディスパッチ誌の記事文言である。従来はナレーターや登場人物のメタ的な語りにより、その映画の背景や状況が説明されることが多かったが、本作では勿論そのような語りは併用されているものの、それに加えて文字情報がスクリーンに表示される。これは恐らく、テクストと映像の関連、より具体的にはテクストから立ち上がるイメージを同時にスクリーンに表現しようとした結果だと思われる。なお、本作ほど明示的ではないけれども、テクストと映像との関係はウェスの過去作でいうとグランド・ブダペストホテルなんかは明確に小説から立ち上げられたイメージであることを宣言しているし、「ザ・ロイヤルテネンバウムス」あたりには各チャプターの冒頭でそのパートの主人公の叙述であることが本のイメージの挿入とともに描写されていた。(後者の方は少し記憶が曖昧だけれども)
2点目は登場人物の語りが英語とフランス語とが混合するにも関わらず、彼らのコミュニケーションは問題なく行われていることだ。我々観客はフランス語で何を言っているかを、スクリーンに映し出される英語訳によって知ることとなる(スクリーン下部に表示される日本語訳ではなく。なお本論から逸れるが石田泰子氏の本作の訳はところどころ酷いね)。このような翻訳の存在はスクリーン上でしか確認できないが、登場人物はそのような言語の壁がないかのように、タイムラグなくリズミカルに対話する。これは記事上では、実際フランス語で語られたことが英語に訳され、地の文(英語)と同言語に訳されていることの視覚的表現であろう。
なお、フランス語の英語訳はスクリーン上を、上から下にだけではなく、下から上にも表示されたりしており、ここでは英語訳のテクストが柔軟に動く点も特筆すべきだ。エンドロールも、(後半はそうなのだが)典型的な上から下に流れるものだけではなく、スクリーンの中心から上下に広がっていったり、左右から中央に集まってみたりと、テクストが踊るように動く。ここではテクストが肉体を得ている。
3点目は絵作りに関するものだが、モノクロを基本的にベースとしつつ物語が盛り上がりを見せる時には(従来に多いパステルカラーではなく)ビビッドな色を採用しているのがある。
またカメラ位置については(従来は正対、真横から捉えると言ったシンプルな対峙が多かったが)、①対象人物に斜め方向から捉える(カメラの視線方向)、カメラの水平自体を斜めにする(カメラの傾き)といった角度の演出もあるし、また②複数の人物を同一画面上に配する際に登場人物の肩越し、登場人物が持つ本越しにその他の登場人物を捉える、更には登場人物の動きをストップさせた上で水平移動することによる奥行の演出もある。
これらはいずれも、テクストからイメージを立ち上げる際の立体感を担保する手法だろう。

このように見てみると、いずれも「テクスト」(=活字)を出発点にして、そこから生み出されるイメージを、その連関をスクリーン上に明示しつつ観客に表現しているのではないかという気がする。ではなぜそのような手法を採用しているのだろうか。
これを考えるには、本作の出発点が、雑誌の編集長が心臓発作で亡くなってしまったことを理由に同誌が廃刊となることとなり、追悼記事を各記者が書き起こしたものであることを意識した方が良いのではないかと思う。
オーウェンウィルソン扮する記者も含め、合計4つのパートから本作は構成されるが、いずれのパートにおいても最後に記者と編集長との生前のやり取りが挿入されている。記者4人はそれぞれ編集長との交流を回想する。最後のシーンで描かれる通り、編集長は自分のデスクの上で亡き人として眠る(正直このシーンは笑ってしまった)。彼の肉体はあるが魂は既に失われているだろう。
フレンチ・ディスパッチ誌の最後の、そして編集長に対する追悼記事は、活字すなわちテクストによって、編集長との思いでとともに再生される。その再生は、記事を書いた記者のみならず、その記事を読んだ読者の中においても(編集長との直接の思い出はないにせよ、記者がその思い出を込めて執筆したことにより間接的に)編集長をイメージとして蘇生することになる。
編集長はテクストから立ち上がるイメージにより肉体を得る。
ウェスは、上記のような編集長に対する追悼の想い、活字を介した蘇生、テクストがイメージを立ち上げる力強さを映像として表現しようとしたのではないか、というのが私の妄想です。
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