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フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊のまっとのレビュー・感想・評価

4.5
ウェス・アンダーソンの描く人々は、皆、人生を達観している。どんな状況にもじたばたしない。ぶれない。超人と言って良い。決して偉人ではないが。

今回もまたこの世の超人達の人生を、斜めから見ずに正面と真横から真っ直ぐに活写した。

普通、人間の視線はその鼓動と呼吸のせいで常に揺れ、ぶれている。手持ちカメラのショットが生々しく臨場感があるのは、ぶれるが故に、人間の視線に近いからだ。

ウェス・アンダーソンの正面真横ショットは、人間の視線とは真逆の人工的な視線をあえて意識したものである。そして、ぶれとは無縁の流れるような直線的ドリーの多用。その風景は、この世を達観した超人たちを映し出すのにふさわしい、神の視点のような美しさを湛えている。

美とは対称性である。人間は対称的なものを美しいと感じる本能を持つ。対称的に整った顔がモテるのはそのせいだ。モテるために整形をする人もいるが、それは人工的な行為となる。完璧な対称性は人工的故に美しい。(自然の混沌に美を感じることもあるが、それも対称性あるいは秩序の美を知った上での混沌の面白さであり、全くのカオスには人間は不安を持つ。囚人の描いた混沌的抽象画の中に、よく見つめれば女性モデルが見えるはずと言って、鑑賞者を安心させ、絵の価値を上げていった画商のエピソードが象徴的)

ウェス・アンダーソンは対称的な構図にこだわり、それを正面と真横から撮る。まさに人工的な美への偏愛である。

人生を達観したぶれない超人たちの物語が、ぶれることのない超人工的ショットの中で語られていく。語っているのは雑誌の記者達である。記者は超人たちの人生を「記事」という恣意的に切り貼り可能な、捏造も可能な人為的な語りに落とし込んでいく。超人を超人たらしめるために。(記者がカットして捨てていた勇敢なコックの言葉の下りを、編集長がやはり必要だと戻させたのが象徴的)

超人は美しい。それは人工的だからだ。
最後に人生の幕を閉じる編集長さえも。
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