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見えない目撃者のharunomaのレビュー・感想・評価

見えない目撃者(2019年製作の映画)
3.5
オープニングクレジットが入るファースショットの拳銃訓練の場面、ハイスピードと硬派なクラシカルな音楽で吉岡里帆(ああ、あなたも吉岡か)の警察学校の訓練の様子がつらなっていく。なにかが始まりそうでいいのだが、だが銃声はノンモンで処理されているため、いいんだが、結局この映画はダメなんだろうなという予想は、最後まで裏切らなかった。露悪派ではなく、ある程度真面目な映画。盲目になり目がまさに見えなくなる瞬間、彼女の視界は黒く狭まり、フィルムグレインに暗転していく。全編を通じてあとに続く、グラフィックによる彼女の盲目の視点ショットのイメージというものはなかなか興味深かった。ただブラッケージにはならない。(『この世界の片隅に』『君の名は』のようなシネカリグラフィーのようなものが現れると途端にわたしは評価が甘くなる)

以下、結構長いんで、観る人は映画観てからでも。

うーん、そんなにかっこよくて、里帆、この人になりたいとは思えなかった(視点違うか)。どうも勘違いして観に行ってしまい、ルーニー・マーラや若尾文子、梶芽衣子を観たかったのが本音だ。おもしろくは見たけど、やっぱり冒頭も含めて、いくつかのシーンは長すぎるし、小道具はじめ伏線とその回収が、分かりやすくネタバレを誘い(セリフで説明される時に、映像も句点のように前後が区切られ間延びする。無粋感あり)、引っかかりながら見ました。死体が発見(事件として正式に捜査がはじまる)されるまで1時間って長くないかい。最後も30分も長々と闘っている(編集で切れるんで1時間45分の尺にしてください)。犯人とのアクションもおもしろく、中盤も終盤もそこそこ上手いなぁと思いながら見てたが、どうなんでしょうか。グロい画はまぁまぁありました。捜査の死体の写真を4,5回説明がてら、わざわざ繰り返し抜きで写してましたが、そんなに必要ないし(くどいあざとい)、犯人もそれなりに残虐で怖いのだが、画面そのものが怖いことはなく、サイコパス含め人間そのものが怖い(フィンチャーとか?羊たちとか?)こともない。そして黒沢の『CURE』やエドワード・ヤンの画面そのものから血が流れるごとく、不穏さが存在論的に画面に漲ることはなく(ハードル高すぎ)、まぁ音楽も合わせてショッキングな感じだけはあるなぁ、やってるなぁと思うくらいでした。途中、犯人を探しにあるマンションの入り口で、高杉真宙が「不穏な空気満載のマンションだな」とか言うが、画はサイズも含めて普通だったり、なんか拍子抜けはします(高木風太にはジャンルであっても、空ショットは撮れないんじゃないかな)。吉岡里帆はあまり活躍する場面はあるようで、ない(そもそも現役の刑事じゃないしね)。なかなか難しい。ショッキングですよぉ、不穏ですよぉ、グロいですよぉ、悲惨で大変ですよぉ、という意味伝達以上のものは、なく、『CURE』なり活劇としての『悪魔のいけにえ』になることもまたない。ノーカントリー

示すべき映像を見ることができる司令室(もう一人別な者)からの声で、危機的な状況にある(ブラインドの)現場の人間が、行動を選択する、地下通路の見せ場の場面も、どう考えたって『デジャヴ』(SFだからしょうがないけど)の方がおもしろく、結局この映画ではワンアイディアにとどまっている。右目は現在を、ゴーグルは過去を見るデンゼルのSFでなくても、超能力設定でもよかったんじゃない。リアリティとの距離が中途半端なんだよ。キャリーとかにまで振れなかったのか、そうするとB級感増すが、なんとも...。タイトル決まった時点で企画の構想は終わったんだろうけどまぁリメイクか。

ブラインドになった理由は馬鹿みたいだから、そもそも吉岡里帆の過去はあつくはない。取り巻きの刑事もさもありなんの役柄の配置で、全部見終わったあとに振り返って腑に落ちるということは、そもそも、なんでこの人?という違和感は最初に感じてるわけで、やはりネタバレになっている。冗長に、不自然に長いシーンのおかげで、途中で犯人がわかる。そして犯人は、全然かっこよくない、ステレオタイプのサイコパスで、過去の履歴も薄く、あまり紹介されない。被害者を救出しに行くこと以外に、こいつを倒しに行く理由はそんなにない。おめでたいことに、犯人は自分から俺とあんたは似ているとか言い出す。本当ですか?あなた、イーストウッド(何度も狂った犯人とシンクロしつつも、自分の闇の分身のようなやつを倒してきた)を前にしても同じセリフ言えますか?馬鹿ですか?
別に、映画はよく台詞でそういうことは言うが、映画全体としては、ここではないし、その台詞を言うなら、ちゃんと犯人を描けよ。あるいは、里帆の盲目の原因を犯人と結びつけて、復讐の要素もあってもよかったかも。
所詮は刑事でない(なぜそもそも吉岡里帆は警官になったのか、その男勝りな正義感みたいのはいつから持ち合わせているんでしょうか?なぜそんなに肌がつるつるなんでしょうか。ドスを利かせて頑張ることもあるが、なんかおかしい。焦点の定まらない目の演技もリアルなんだろうが、盲目であることが、決定的には映画において、こう言ってはなんだが、いかされていないとも思った。)吉岡里帆と高杉真宙のバディ感も中途半端な感は否めず、映画が終わったあとに、その後の二人がどうなるかはあまり想像する楽しみはないだろう。

ただ高杉真宙のあり方は、今まで観てきた彼の映画とは違い、浮ついたところもなく、(声も)低くテンション抑えめの演技で、クールで、目が隠れるくらい前髪下ろしていてよかった、スケボーのアイテムもうまく合致したと思う。『太陽を掴め』の浅香航大は頭でしか演技してない気がする、活躍できる脚本ではないからかわいそうだが、どうも残念であった。その他端役でも國村隼、渡辺大知、柳俊太郎、ほっしゃんなどが1シーンで登場するので、そこそこ映画のパワーにはなっている、豪華でした。撮影1日で存在を示し、ちゃんと映画に貢献する職人たち。酒向芳もよい。藤井勇の照明の助けを借りつつも、撮影の高木風太がちゃんとカットを割って頑張って撮っていた(『小さな恋のうた』)ことも、そこそこおもしろくはあると思う。吉岡里帆はもちろん頑張っていたが、企画から、ジャンルを超えて女性映画にまではならなかったので惜しい。『Laundry ランドリー』でデビューした森淳一に『リトル・フォレスト』の後に、これを撮らせるプロデューサーはおもしろくもあり、意地も悪いとは思う。それにしても、現在の東映映画?にしては、出来のいい企画と映画であった。ROBOTが企画・制作だからだろう。東映(悪意はないです、あくまで製作・公開された映画を観てきたまでの感想)は碌な人がいなそうなので、看板と製作費だけだして、内実の企画と制作はしかるべきプレイヤーに任せるというのが、現状まともな選択であったと思う。あとは脚本と監督の選定である(上から笑)
「ある声を聞いてから助けるまで」の物語は感動的であった、少し泣けた。
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