ブラックユーモアホフマン

三里塚 第二砦の人々のブラックユーモアホフマンのレビュー・感想・評価

三里塚 第二砦の人々(1971年製作の映画)
4.2
51年前の今日が写っていた。
1971年3月3日。

意外とカメラの動きが、他の作品と比べて落ち着いていて、これは見られた。

続けて観ていると、主要登場人物の顔が分かってきて、だんだん映画として入り込みやすくなってくる。顔を知った上で改めて昨日観た2本を観ても見え方が変わってきそう。

そりゃこの三里塚の人々は、理不尽に生活を奪われた弱き人々だが、しかし大人になってこんなに一つのことに情熱を燃やせることなんてそうそう無いよ。人生をかけて闘うことなんて。可哀想ではあるけど、同時にイキイキしてもいる。穴を掘った大変さを語るおじさんの嬉しそうなこと。青春だよこりゃ。

砦の中で作戦会議とか反省会とかしてる様子は、運動会の紅組・白組のようにも見える。時折、ユーモアがあって笑ったりなんかして。でも結局そういうことなんだろう争いごとって。仲間意識と敵対心、目標に向かって団結して突き進む勢いは、人を滾らせる力がある。最近『彼らは生きていた』を観てもそう思った。きっと戦争って楽しいんだ、生死がかかるまでは。でももうそうなってしまってからでは手遅れ。

「ありゃもう人間と思っちゃいけない」「キ◯ガイに話は通じない」といった言葉に恐ろしさを感じた。
勝手な推測だが恐らく公団側の人々も空港反対側に対してそう思ってるんじゃないか。到底理解することのできないケダモノのようなヤツらだと。
”敵”に対する憎悪が抗争の中でどんどんエスカレートしていって、お互いにバケモノ扱いするようになり、「あいつらは人間じゃないから何してもいい」「殺しちゃってもいい」になっていくんだ。

違うよ。それが人間なんだ。人間なんてそもそもそんなもんなんだ(と『日本解放戦線・三里塚』の中でも似たようなことを言っていた気がするが)。だから怖いんだ。
自分たちで考えているほど全く心は強くなんかないし、群衆心理の中で簡単に暴力的にも残酷にもなれてしまう。それが人間の本来の姿なんだ。自分も相手もその程度のもんなんだってことを、渦中にいると忘れてしまう。
自己防衛本能、自分の心を守ろうとする本能のおかげで、自分の立場を正当化する。そのためには相手をどれだけ下げても構わない。本来の正義や目的なんてどっかいってしまう。

群衆の戦闘シーンは不謹慎ながらも正直『ロード・オブ・ザ・リング』すら思い起こさせる一大スペクタクル。でもある意味ではこの映画もLotRと同様、戦争の寓話として観ることができる。
またエイゼンシュタインなどのソ連映画も想起させられる。

今ウクライナにいるロシア人兵士たちもそうだ。彼らだって一人一人はバケモノなんかじゃない。ただの人間だ。一人の弱いただの人間。だがそれが何より恐ろしい。

【一番好きなシーン】
おばちゃん二人が一緒に鎖で木に体をくくりつけるところ。カメラがパンすると物凄い黒煙。