BuffysMovie

パリに見出されたピアニストのBuffysMovieのレビュー・感想・評価

2.5
『マラヴィータ』『ルーシー』などリュック・ベッソンの元で助監督をしていたルドウィグ・バーナドが監督&脚本を務めた。

どの監督の元で実績を積むかどうかで作品のテイストって左右されていくものだということを痛感させられる映画でもあった。

『レオン』や『ニキータ』などといった、初期のリュック・ベッソンではなく、『48時間』や『ルーシー』といった完全にアメリカナイズされてしまった時期のリュック・ベッソンの元で修行を積んだせいなのか、物語の構成が全体的にアクション映画的であるのだ。

どこがアクション映画的かというと、ドラマ性の薄さである。

アクション映画であれば、勿論アクションがメインのため、それは許されるが、人間ドラマを描いた作品でそれをやってしまうと、非常に薄っぺらい話になってしまう。

芸術的センスの才能はあるものの、環境に恵まれなかったために、その道に進むことができなかった主人公が、たまたま出会った関係者によって、才能を見出されて、駆け上がっていくという、今も昔もよくある王道サクセスストーリーではあるが、そのベースとなる王道ストーリーをどう差別化していくかとなったときに、キャラクターの特徴や他者との関係性が役割を果たしていくことになる。

今作で言えば、お金持ちばかりの子供ばかりが通うエリート音楽学校に、アウトロー的に現れたマチューに嫉妬し、ライバル心を燃やすライバルとしてミシュレというキャラクターが登場する。

しかし、ミシュレというキャラクターは何を考えているかがわからない。ライバルというほど敵対視している描写もなければ、交友的であるのかもわからない。ライバルであるにも関わらず存在感がほとんどないのだ。

エリートとアウトローが対立するという典型的パターンながら、おいしい題材ではあるのに、そこはスルー!

他にもいくつか例を出そう。

マチューの母親との関係性、弟たちの関係性、かつてピアノを教えてくれた恩師の関係性…どれもが一歩足りないのだ。

踏み込めば深いドラマを作り出せそうな材料がゴロゴロと転がっているのにも関わらず、あえて避けて通っている様にしか思えない。

題材は散りばめているのに、回収していかないというのが正にアクション映画的だと言えるだろう。

濃厚な人間ドラマが期待できそうな題材なのに、観終わった後に何も残らないというのは残念でならない。

ちなみに冒頭で主人公マチューが駅でピアノを弾いていることに疑問を感じなかっただろうか。

フランスでは、駅や空港、一部の街中などにピアノが置いてあるという環境が近年では、あたりまえになりつつある。

なぜフランスでは、そんな試みをしているかというと、『オーケストラ・クラス』『パリ20区、僕たちのクラス』などでも描かれている通り、フランスでは音楽に触れることや、音楽教育を大事にしているのだ。

経済的や社会的、物理的に学ぶことが難しい若者たちに少しでも音楽に触れる時間を与えるために、音楽教育プラグラムの「デモス」といったものがあったりする。

音楽や芸術を身近に感じさせたいと考えている、芸術の国フランスだからこそ、日常にもドラマはあふれているというのに、今作は残念なクオリティであった。
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