久々の映画館での鑑賞。
この日々が戻ってきたことをとても嬉しく思うと同時に、もう二度と失いたくないと感じ、改めて気を引き締める。
しかしこれはタイムリーに鑑賞したと見せかけてタイミング悪かったかも。
だって作品中のカオスを現実が軽く飛び越えてしまっているんだもの。
「警察24時〜移民大国フランスで尚残る格差の現実編〜」だった。
序盤の若干の黒めなコメディテイストから中盤に至っても脱皮しきれなかった印象。
登場人物もストーリーもみんな「ガキ」のまま。「ガキの喧嘩を見せられていた」という苛つきすらある。
ただ翻って、「この次元にいざるを得ない現実」を突き付ける狙いも理解できる。
最後は「いい」着地だった。
監督は今も舞台の地に住んでいるとのことで、子供がパチモンのユニ着たりしてる「リアル感」は映画と感じさせないほど。フランス代表やPSGだけじゃないのがリアルみ。
ただドローン少年は今風だけどかなり異物に感じられた。
まあ監督のほうが実情は遥かに分かってるだろうから実際いるんだろうけど、それでも舞台装置感が上回ったな。
有色人種(あるいはそのルーツが感じられる人物)しか出てこないのは、白人オンリーの元祖レミゼへのカウンターか。
これは元祖未見の自分でも抑えとかなきゃだな。
唯一人種ごちゃ混ぜで喜び合うのが、移民社会の「成功例」であるサッカーフランス代表のシーンなのが切ない。
ただ賭けの対象がエンバペとデンベレって、それ勝負にならなくないか?(笑)
でもここでグリーズマンにしないのもまた「理由」があるのか。
彼らにとっての「ヒーロー」はグリジじゃなくてデンベレなんだ。
「人種を超越した団結」の象徴であるフランス代表ながら、ルーツの選手を贔屓目に見ることを無意識ながらも行なっている。
彼らが人種平等ではなく、人種内での団結を選択していることへの示唆。
「ジョーカー」は80'sアメリカの退廃を、この「レ・ミゼラブル」は現代フランスの格差をもって現代社会へ問いを投げかけたが、どうやら世界はトッド・フィリップス/ラ・ジリ両氏の願いと真逆の答えを出してしまっているらしい。
この「紙一重」が幾千にも積み重なって、現在リアルで「爆発」が顕現したということは容易に察せる。