ヤマダタケシ

鵞鳥湖の夜のヤマダタケシのネタバレレビュー・内容・結末

鵞鳥湖の夜(2019年製作の映画)
3.7

このレビューはネタバレを含みます

2020年9月 ユナイテッドシネマとしまえんで

【現代的ノワールのネオン】
 雨、ネオン、汚れた繁華街、売春宿。いわゆるフィルムノワール的なモチーフに溢れた、フィルムノワールど真ん中の話になっていたと思う。
 そして今作は、どこが起源かは分からないが(リンチやギャスパーノエ、タランティーノの影響はありそう。そしてデヴィット・ロバート・ミッチェルに繋がる様な)、90年代以降の、暗闇の中で映える蛍光色を強調した色彩が印象的だった。それをアジアの、地方の歓楽街に置き換えたような。
 それはもちろんノワール的な街の汚さを持ちながら、同時にどこか無機質な悪夢を思わせる。
【ロケーションの素晴らしさ】
 そして今作、舞台になっている鵞鳥湖という場所が素晴らしい(というかここ最近観た中国の映画はロケーションがとにかく良い)。
 鵞鳥湖という湖を囲む形で作られたリゾート地。しかし、それはヨーロッパなどのリゾート地のような洗練された感じは無く、どちらかというと熱海とかそういう少しいなたい感じの〝観光地〟という感じである。
 そしてそのいなたさは、恐らくそこのレジャーと売春がセットになっているところから発生している。
 大きなツバ広の白い帽子をかぶった女性たちが観光に来た男たちに声をかけ、安い連れ込みやボートの上で売春を行う。
【ロバートミッチェルっぽい】
 アジアの街が舞台となるとそこには汚れた感じが付きまとうような、湿気がこもったような感じがあると思う。
 もちろん今作にもその汚れはあるのだが、それ以上に暗闇で光る蛍光色の灯りとフラミンゴ、集会場など全く関係の無いモチーフ単位で強烈なものが素早くシーンのスキマに挿入される。それはより今作を迷い込んだ悪夢のように見せ、というか今作、別に主人公が幻覚を見ていたりするわけではないが、それらのただただイメージとして強烈なものの集積によって作品全体を酩酊させて行く。
 そして、その事によって結果として今作のテーマである〝追い詰められた男が妻とは違う女に妻のイメージを重ねて混乱していく様〟が際立つ。作品全体が蛍光色、イメージによって酩酊させられることによって、主人公の男がアイアイという何者でも無い売春婦に翻弄されることに違和感が無くなる。
 というか、別にアイアイ自体も本来的に魔性の女という感じではなく、むしろこの場所の、この夜の、追い詰められた男のすがろうとする気持ちが〝雨の街で赤いドレスの女を追いかける〟というノワール的な情景を生み出している。アイアイもただのコマでしかない。
 そしてこれらの蛍光色や強烈なモチーフの挿入はとてもロバート・ミッチェルっぽい感じで、それはアジア的な汚れ感からするとむしろ無機質に見える。
【ファムファタール、女性にハッピーエンドを与える】
 今作ラストが素晴らしいのはグイ・ルンメイという、まさにファムファタール然とした女性を、そのファムファタールの呪いから解放したことにあったと思う。
 監督の前作『薄氷の殺人』では、まさに男性による暴力の影を引き寄せてしまう不幸で、魔性な女性として描かれていた彼女が、今作ではそこから逃げ出そうともがき、男性の力を借りず、むしろ彼らをだますことによってそこから抜け出していく。
 アイアイと主人公の妻、ともに今作において特に男性的な奪い合いの社会の中で奪われてきた彼女達ふたりが、約束を果たすことによってそこから抜け出していく。
 それは主人公の視点からしたら、妻の虚像と実像その二つが重なったようにも見えるものであり、同時に主人公から何かの想いを込めたイメージを投影される存在ではなく、ただただその人としてそこにいる二人である。
 警察、ヤクザ。男同士の騙し合い、奪い合いの朝にその取り合われていた報奨金を手にするのは彼女たちであり、彼女たちが朝の湖に消えて行くラストは、ノワールと言うジャンルにおいて常に、その雨が降る夜の中に消えて行く彼女達が、そこから抜け出していくようにも見えた。
 雨の駅での赤い服、まさにノワール的な美しさを持つグイ・ルンメイが作品の最後に見せる姿は等身大の彼女だったように思う。
 なんか今、ポリコレ的にも楽しめるノワールを見た感じがある。

・光る靴で踊ってるシーンの無表情なグイ・ルンメイが美しく、またそれらの大半が潜入捜査官であり、かれらが一斉に動き出す瞬間の和が乱れる感じが良い。
・男性視点のナレーションを村淳が、女性視点のナレーションを中村優子がやっている二部構成仕立ての日本版予告編はけっこう凝っていて好き。てかファムファタールがちゃんと言葉を持つ今作においてかなりいい作りの予告だと思った。