本当は、泣いて、笑って、大満足して帰るはずだった。
本当は、夜空を見上げながら、暖かい気持ちで帰るはずだった。
僕の職場から、電車で一時間くらいのところに、
知的障がいを持った方々が働く職場がある。
初めて打ち合わせに行ったとき、思い切って、
皆さんに話しかけてみた。
職場では、ほぼ間違いなくスベる僕のオヤジギャグが
百発百中で、みんな大笑いだった。
スタッフの方に「普通にコミュニケーションできましたよ」
と言うと、「そうなんです、でもそこが問題なんです」と
不思議な答えが返ってくる。
つまり、彼らが社会に出ると、最初は普通にコミュニケーション
できるのだけれど、彼らの特性を良く理解していない人たちは、
だんだん意思疏通がうまくいかなくなってくることに苛立ち、
それが壁となるのだという。僕は自分の無知を恥じた。
映画の中に、彼らがバスに乗って試合に向かうシーンがある。
「引率責任者は誰だ!」
「迷惑だ!」
「バスから降りるべきだ!」
僕もバスの乗客達と変わらないと思い、ずっと居心地が悪かった。
途中、コーチのマルコの苛立ちが伝わってきて自分も同じ気持ちになっていることに愕然とする。
でも、マルコはよく見ると最初から我慢強い。
愚痴ったり、頭を抱えたりするけれど、決して彼らのことを怒ったり、蔑んだりしない。
彼の粘り強さには頭が下がる。果たして、自分も同じように我慢強く取り組めるか不安でしょうがなかった。
でも、映画そのものは素晴らしい作品でした。
ユーモアと人間らしさに溢れています。
何よりもタイトルが素敵。
「だれもが」ということは、チームの一人一人が、そしてマルコも、見ている僕たちも愛しいチャンピオンだということ。
先入観無く見れば、冒頭二行のような気持ちになること請け合いです。
この作品を見て、苛立ったり、愚痴ったり、頭を抱えたりするのは当たり前なんだと改めて気付かされました。
さて、そろそろ、僕もチャンピオンになるべくランニングから始めますか!
(実際、映画のなかにランニングのシーンがありますが爆笑間違いなし)
「だれもが愛しいチャンピオン」ヒュ-マントラストシネマ有楽町20200116