J

ルクス・エテルナ 永遠の光のJのレビュー・感想・評価

3.5
あゝギャスパーノエ。
これぞギャスパーノエ。


上映前に注意喚起が流される。

鑑賞前に目にしたレビューで、目がやばい!観る麻薬だ!などのコメントもあったので自然と肩に力が入る。

だが、いざ始まるとそんな騒々しい様子は感じられない。
2人の女性が暖炉の火を前に「魔女狩り」について雑談をしているシーンが長回しで映される。
画面を中央で2分割して別アングルの映像を流すという独特な手法で撮っているが、それ以外は特に気になる点はない。

ギャスパーノエといえば、五感を刺激する攻撃的で芸術的な作品が多いようなイメージがある。
そしてその演出こそが胸糞の悪さに繋がるのだが、、

結論から言うと本作では、注意喚起があったように目がチカチカするという視覚的な地獄はあるものの、特に胸糞が悪くなるようなシーンはない。

本作はどちらかというと会話劇がメインだ。

だが、その会話がどこか気持ち悪い。

おそらく監督自身がこの作品全体に大きなメタ要素を含ませており、それ(メタ要素)についてキャクターが会話をしている。

会話を聞き逃すとすぐさま置いていかれるので、耳を傾ける必要がある。ただ、耳を傾けても断片的で混沌とした情報しか与えられないのですぐに置いていかれる。

さらに劇中、"映画を撮影する"という本作のメインストーリーとは別のストーリーが展開"されかける"。

主人公をメインストーリーからサブストーリーへと移行させようと手招きするように、様々なキャラクターが主人公に対してアクションを起こすのだ。

だがそれは展開されることなく終わる。
サブストーリーに関する断片的な情報は差し出されるものの、そのストーリーは全貌を見せる前に暗闇へと尾を引いて消えていく。
すぐにメインストーリーに戻されるのだ。

感覚としては、ゲームで幾つものキャンペーンが用意されているような感じだ。
だが、ノエ監督はキャンペーンを提示しておきながら、それには手を付けない(笑)
チェーホフの銃は火を吹かないのだ。
 
いや、実に面白い。

正直うまく言葉にできないが、幾つもストーリーの選択肢があったにも関わらず、全てを切り捨てるという見せ方。
脚本作成のタブーを実行しているような感じ。

個人的には監督なりの映画業界に対するアンチテーゼだと感じた。

映画は今まで様々な配給会社のもとで作られてきた。
映画制作にあたり、そういった配給元やスポンサーからの指示などが少なからずあっただろう。
しかし、そんな中でも映画監督というものは映画という限られた次元の中で己の描きたいものを表現してきた。

しかし、今はどうだろうか。

中国資本、Netflix、ディズニー…

かつてない資金力と影響力を持ったプレイヤーの出現により、すでに映画監督には映画制作における主導権などなく、映画監督というのはもはや名だけの存在となっている。

そう考えると、本作のメインストーリーである混沌とした映画撮影現場というのはしっくりくる。
監督は映画を撮りたいが、それを邪魔する様々な資本。奴らは主演女優ですら、金の力で引き抜こうとしてくるのだ。
まさに、今の映画業界を映し出しているのではないだろうか。


だが、"魔女狩り"といったテーマが果たして何にどう絡んでいるのか、まだ理解することができない。
新人女優監督、それを囃し立てる者と引きずり下そうとする者、などの劇中のキーワードから考察すると、
近年、me too運動やフェミニズムの象徴として表舞台に立たされる著名人たちを表していたりするのか。

p.s.注意喚起は忘れた頃にやってくる。
J