冒頭の緊迫感、クレジットの出方とタイポグラフィのカッコよさで一気に持っていかれる。
ならず者たちが駅に現れる。駅員を閉じ込める。汽車を待つ間、ハエを追っ払おうとするボスらしき白人男。同じく、頭に水滴が落ち続ける黒人男。そして各々配置につく部下たち。白人男はピストルでハエを閉じ込める。汽車が来る音がする。黒人は帽子に溜まった水を飲み干す。汽車が到着する。左下にセルジオ・レオーネの文字。汽車を見張るならず者たち。どうやらお目当ての汽車ではなかったらしく、強盗もしない。誰も降りずに汽車が去ったと思ったら、どこからともなくハーモニカの音。振り返ると反対のホームに立っているひとりの男。コイツもカタギではなさそうだ。両者の会話は物騒だが、ハーモニカ男は他のならず者たちより凄味がある。撃ち合いの末、ハーモニカ男が生き残る。
ここまでを見事なクローズアップ、西部劇と言われてイメージする所謂ショット(実相寺アングル的なヤツ)、間と編集で見せる。そしてそれは全編に渡った冴え渡っている。
ダリオ・アルジェント、ベルナルド・ベルトルッチが原案を一緒に書いたと言うのも初めて知って驚いた。当時のイタリアの映画監督の頂点の様な人々だ。
エンニオ・モリコーネの名劇伴に乗せて送る西武開拓史の終わりを描いた名作。確かに長尺だが、その長さが、切なさや時代の変化、取り残される人々、力強く生きて行く人々を物語っていた。
その時代の変化の正体とは、表面的には西武開拓史の終焉だが、人気が陰り、イタリアに渡り、然し時代の変化に抗えずになくなっていった「西部劇」と言う、映画史を語る上で避けて通れないジャンルその物である。その切なさや悲哀の塊の様な作品だ。
三幕構成で、1時間ずつ観てもドラマとして観られる。