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Mank/マンクの3Dメガネのレビュー・感想・評価

Mank/マンク(2020年製作の映画)
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『Mank マンク』
1週間限定で公開中
12月4日より、Netflixで独占配信開始
 

本作は『市民ケーン』(1941)の脚本を書いた人物の視点で描かれる。


【映画の魔法】
映画とは一人で制作が出来るものではな。
表舞台で脚光を浴びる監督、俳優のみならず
脚本、撮影、照明、編集など多数の役割があり
その役割ごとに担当者が異なるケースが多い。
そして制作会社、配給、劇場とかかわる人は多い。
では映画は誰の作品といわれることが多いか。
監督だろう。
ただし監督に制作権限があまりない場合は制作側からの手直しがかかる。
それでも監督の映画、脚本家の脚本と判断されてしまう。
『市民ケーン』は制作側の指図を受けず、制作された作品である。
そして権威の乱用への批判的な作品でもあった。
これこそ芸術のあるべき姿ではないか。
作家の主張を商業的な理由で歪曲せず、作品に具現化する行為こそ
芸術、はては映画作品ではないだろうか。
今ある社会現実を無視し、権力者に都合が良い嘘(または注意をそらさせること)を
描くのが映画の魔法ではない。
作家の主張を映像で語り人々に訴えかけることが出来るのが
映画の魔法である。


【表現】
本作ではマンクが『市民ケーン』の脚本を書いた理由を
出来事とともに解明していく作りになっています。
これは今作が個人的な経験から生まれた感情
をもとに作品に昇華しているとも取れます。
彼がなぜ『市民ケーン』のモデルに新聞王を選んだのか。
最も個人的な出来事、感情を元に作成したからでしょう。
個人的な感情をもとに芸術品が生まれるなら、それは美しいことであり
最も独創的な作品になります。
だからこそ第3者の訂正が入ってしまうと、作品としての
独創性は失われて行くと思います。
ただし、多数の目を通して制作される者である以上、
完全に純粋な作品は難しいでしょう。
皮肉ですが、この事実もまた映画の魔法であります。
(ラストの台詞はこういった意味合いでの皮肉だと思います)

【評価】
デイヴィッドフィンチャー監督の根底に『市民ケーン』があるとすれば
本作をNetflixで制作することは当然の結果だったでしょう。
『ソーシャルネットワーク』で現代版『市民ケーン』を制作したことから
彼の映画制作にかなり影響与えた作品の一つであることは自明でしょう。
だからこそ作家に自由を与えるNetflixで今作が生まれました。
今作のこの主張と実績で、さらに多くの作家がNetflixに流れる可能性もあります。
テクノロジーを駆使したビジネスモデルが、芸術の原点に回帰するきっかけだとすれば
美しいと思いませんか?
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