新納ゆかい

1917 命をかけた伝令の新納ゆかいのレビュー・感想・評価

1917 命をかけた伝令(2019年製作の映画)
3.0
第一次世界大戦は、2018年に終結から100周年を迎え、ちょっとした回顧ムードになった。
戦争が大々的に映像で記録されるようになったはじめての戦争であり、またそれは父や祖父が暖炉の前でおとぎ話調に語る「戦争」の終わりを意味していた。

WW1の映画というのが久しく無かった風に思ったので、期待して劇場に行った。
戦場の再現度は素晴らしく、生々しい描写はよく出来ているが、主人公に強くフォーカスをしているため、総じてゲームのキャンペーンモードといった感じが否めなかった。
WW1を取り扱った映画としては不満である。


1970年代頃まで、東西冷戦下の戦争映画は愛国心の発揚のため、特に米ソの戦争映画は高名な将軍や大作戦をメインに戦争絵巻然とした大作が多く作られた。アメリカはベトナム戦争の敗北で一時期は陰惨な戦争映画が流行ったが、冷戦が終わると再び愛国的な戦争映画に舵を切っている。
翻って2000年代に入ると、個人の人権意識の高まりに引きずられるように、戦争映画も「名も無き個人」にスポットを当てた映画が主流となってきた。
PTSD(心的外傷後ストレス障害)が広く認知されるようになった事も手伝って、特にイラク戦争の挫折を経験したアメリカは、個人ないしごく小さなチームに視点を当てた優れた作品を生み出した。
「1917」も、たった2人の主人公を置いているあたり、そういった潮流に乗った作品と言えるだろう。


ではなにが不満なのかと言われたら、「それが不満なのです」。

WW1は、それまで「男の度胸を試す場所」「英雄の闊歩する冒険譚」と見なされていた戦争が、機械的に大量の兵隊を殺戮するそれへと変貌した戦争だった。
WW1の戦争映画の古典にして金字塔である「西部戦線異状なし」は、1920年代の製作であり、この点を正しく理解していた。
愛国心でほだされた若者たちが、鉄条網に体を裂かれ、塹壕に取り付けられた機関銃で片端からなぎ倒され、精神を破壊されるまで昼夜を問わず砲撃される。その猛烈な描写は90年近く経った今でも観る者を圧倒する。

「1917」はサム・メンデス監督が祖父の体験談を元に作ったそうで、なるほどそうであれば上記の描写はさして重要ではなく、無理に押し込むような事柄ではないかもしれないが、「個人の戦争」というある意味での「戦場の美学」を徹底的に打ち壊したWW1と、本質的には相容れないテーマだったかもしれない。
WW1において個人はもはや個人ではなく、国家であり、コマでもあり、たやすく使い捨てられ、ちり紙のように消費され、積もり積もってその戦死者は1000万人を超えた。それまでの戦争では出たことの無い、天文学的な数字である。

映画が「教育」や「教養」であるかは議論の必要があるが、少なくとも今作の描写は第一次世界大戦をかなりオブラートに包んだ形で描いている。
ドラマティックに戦死できるのは、それこそ「ドラマ」の中だけであるということは、頭に入れておかなければならない。


余談だがこの西部戦線で主人公たちイギリス軍と戦っていたドイツ軍には、やはり彼らと同じ伝令として塹壕を駆ける、若き日のアドルフ・ヒトラーが居た。
時のイギリス海軍大臣はサー・ウィンストン・チャーチル、アメリカ・ヨーロッパ派遣軍の中にはダグラス・マッカーサー。
彼らは静かに歴史の潮の中を泳いでいた。
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