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ハニーボーイのランドのレビュー・感想・評価

ハニーボーイ(2019年製作の映画)
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自伝的映画か… そっか… ってなった これで本人がうかばれるなら… いいのだけど…

「大人になった今、僕は知った。そこに、愛があったことを」とポスターにある でも申し訳ないけど私はそんな風に感じなかった 彼は経済的に子どもに依存しているだけで、息子がお金を稼いできてくる存在でなければ、一緒に暮らす意味はないと思うと思う 彼は子どもは育てられない 自分自身ときちんと向き合って、自分が被害者であるという思い込みから抜け出し、自分の思い通りにいかない人生や、毎度後悔する自分の行動を他人のせいにしない、ということから始めないと、いつまでもいつまでも自分の人生を生きることができない 加害者は自分の行動を責められると、被害者を、「お前が私(自分)を責めたからだ!」と加害者とみなすことで、ひたすら自分を正当化する でもそれは空虚で無意味で、空っぽでしかないというその虚しさに向き合えないと、多分いつまでたってもあの場所で、自分以外の誰かのせいでうまく生きられない可哀想な自分を演じて、そのうち誰にも見向きされなくなっていくのだと思う

オーティスは、「愛されていると信じたかった」と思っているとのだと思う たしかに私は幼いころ、親から無条件に愛されたいと思っていたと思う でもそこまでに必ず理不尽に傷付けられることを、もう嫌になるほど実感させられているのだから、どうかそれを思い出して、そして彼からは逃げるべきだと思う 思い出す前に、考える前に、頭から抹消していいと思う もちろん PTSD の治療じゃないければこんなことを思い出して傷付かなくていい

傷はなかったことにはならない、それゆえ、加害してきた相手を許すかは自分で決めていい 許してあげなよ、と言ってくる人を無視したかったら無視していい 結局は親なんだから、死んだらもう会えないんだから、後悔するから…… は許す理由にはなり得ないことだってある 許したいと思っているのにできないことはある すべてを許せばオールハッピー、なんて結末は、加害された時点ですでに切り落とされている 親だからといって許さなくてもいい、と言ってほしかった 結局親なら許すべきでしょ、の雰囲気に飲まれる終盤、そして結末がなんとも辛くて、そっちなんだ… と思った
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