タランチュラ小堺

NO SMOKINGのタランチュラ小堺のレビュー・感想・評価

NO SMOKING(2019年製作の映画)
3.9
「NO SMOKING」鑑賞。

 「WE ARE Perfume WORLD TOUR 3rd DOCUMENT」の佐渡岳利が監督を務めており、音楽家・細野晴臣の幼少期の音楽との出合いから、「はっぴいえんど」「YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)」での活動、ソロでの音楽活動を振り返りつつ、近年の活動に完全密着したドキュメンタリーで、彼自身の軌跡と創作の原点を辿った作品です。

“はっぴいえんど”で日本語のロックの礎を築き、“YELLOW MAGIC ORCHESTRA”でテクノというジャンルを国内に知らしめ、ソロアーティストとしてアメリカのルーツミュージック〜“南国の楽園”を想起させるエキゾチカ〜テクノロジーを駆使したエレクトロニカなどを辿りながら、半世紀に渡り、豊かな音楽を生み出し続けている細野晴臣さん。

現在のJ-POPは彼の功績なくしては語れない程に文化貢献に努めたと言えます。国内でのロックンロール、ブギ、テクノ、ポップには、常に“細野晴臣”の匂いがします。細野晴臣を知ることは、特定の個人に収まらず、此れ日本の大衆音楽史を知ることに通じるでしょう。

僕自身はというと、細野晴臣のフォロワーを公言する後輩ミュージシャンが、“はっぴぃえんど”の名を挙げていたのを機に、聴き始めました。確か中ニの頃が初めてです。

当時でも古臭さを全く感じさせない『The Band』の様なインプロヴァイズされたグルーヴィーな音に酔いしれ、それから彼の音楽を辿って行きました。

ロック、テクノ、ポップ、エレクロニカ、アンビエント、ワールド、ハウス、ボサノヴァ、ブギと細野晴臣のLPを一通り聞くだけで、世界中の音楽が聴こえてくるものです。一人の人間が生み出せる曲作りのリミットとボーダーを優に超え、未だ新しい出逢いと喜びをリスナーに与えてくれるミュージシャンズミュージシャンです。

特に、僕はエレクトロ・アンビエント期に嵌まり込み、『omni Sight Seeing』、『MEDICINE COMPILATION』の2作品は自身の創作にも非常に影響を受けているといっても過言は無いです。


【自由】


 細野晴臣が音楽を生み出し続ける源泉は、感じたことがないもの、知らないもの、つまり“よくわからない”という未知への好奇心だということが、本作では深く語られていました。

時代によって大きく音楽性が変化しているのも、細野さんがその時期に興味を持っているサウンドに向かって動き続けていることの証左であると。

驚きとショックを憶えたのは、2000年代に入った頃から傾倒していた“エレクトロニカ”でした。よもや、あれだけの傑作を作っておきながら「一生懸命だったから面白いモノが作れた」と言葉少なげに終わらせるのですから笑

過去の実績に囚われず、“これから”の楽しみと希望に日頃から期待を抱く姿が、彼にとっての“自由”でジャンルに縛られない純粋な意味での音楽制作なのだと思い知らされます。

“模倣”と“創作”をここまで乖離させ、後者に殉ずる人間が存在していることに、嫉妬心と嬉しさが同居し、よもや衝撃でした。一生懸命という一言には。


 補足すると、90年代のアンビエントから発展する形で登場した00年代のエレクトロニカは、楽曲の上に環境音やノイズを乗せるのではなく、それ自体を取り込みながら表現するのが特徴となっています。故に、“電子的”ではなく、“肉感”溢れる音なのですよね。DTMなのに。

個人のミュージシャンたちが世界各地から発信した新しい音楽、即ちエレクトロニカに感応した細野さんは、好奇心を抱き、いわば手探りで模索を続け、それが“細野晴臣×高橋幸宏”のユニットSKETCH SHOWの1stアルバム「AUDIO SPONGE」(2002年)に実を結びます。

ところが細野さんは、「“このソフトを使えば、いとも簡単にできる”ということがわかって、途端につまらなくなっちゃった」とエレクトロニカへの興味を失ってしまい、その後更なる路線変更を図ります。

ひとつのジャンルに縛られず、常に流動的で動きを止めない。このことが細野さんの音楽の自由の源泉につながっています。

音を楽しむと書いて、音楽と説く、その真理を心から理解し、“様々な枠”から脱却した自由さを以ってして、商業的に成立しているミュージシャンは彼以外に例がないでしょう。

改めて、細野さんの新しいを享受できることに喜びを感じます。


【これからの音楽】

 
 本作を鑑賞し、印象に残っていた言葉として、「売れるのを気にするのは商業主義で、音楽主義は違う」と細野さんは仰っていました。

元々音楽はそんなに売れるものではなくて、詩と踊りと唄は常に世にあったものです。

それを無理矢理売ろうとしたもんだから、シーンを賑わす音は金太郎飴のようにヒット曲の“贋作”に過ぎないもので飽和し、バブル崩壊に伴い、趣味嗜好は排他され、文化のビジネス側面が強まっていったことと存じます。

文化の持つ土壌は“商業主義”に代表される90年代において、本来の持つ意味を失い、今の様な惨状になったのだと、その言葉を聞いて思いましたねぇ…

ただそれが、今はネットの発達で、各々が配信できて、商業主義に陥らずに個人的な“音楽主義”で発表できる時代になって、謂わば“共同体”に回帰していってると思うのです。

いずれ音楽は共同体としての在り方となり、細野さんの劇中で語る“秘伝のタレ”を持った新たな喜びと自由に満ちた“創造”で溢れてくる気がしてなりません。

というよりも、作家として生計を立てている自分にとっては、そうなれ!!!と悲鳴をあげたいものです。
 

【総評】


 この映画で語られるエピソードの多くはほとんど知っているものばかりでしたが、子供時代の貴重な写真が多く、また当時の映像も多かったですね。

やはりこうして映像で観ると実感というんですかね、本とか雑誌で見る物とは全く違うものですね。見応えがありました。

細野さんの漫画も映されているので、ファンは垂涎ですよ。それがまた上手くてですね…!

この人は漫画に打ち込んでいたら、それはそれで、世に名を残す偉大な漫画家になってたと思います。あな恐ろしや。

しかし、ドキュメンタリー映画としては、細野晴臣を知っている前提で観なければ楽しさ半減かもしれません。あくまでファンムービーとしての面白さが先行していると思います。

僕個人としては、売れる事と、好きな事を両立させた“創作論”を学べる貴重な教養となりました。