好意を伝えることはエゴだけど、それをいいものとして描いていた本作。
逆に「退屈な日々にさようならを」では、ウソを突き通さないで真実を伝えたことがエゴとなり、とても対照的。
今泉監督にも聞いてみたが、どちらがいいかっていうのはないみたい。それを問いたくて映画にしたんじゃないかなと思った。
実際わたしはエゴで人に、いつもありがとうとか、好きですっていうのを伝えたりしてしまうことがある。
彼女持ちの男に二回告って、それエゴだから!っていわれてふられた。
気持ちを伝えるっていうのは美化されがちだけど結局相手の迷惑とか考えるとエゴでしかないんだよな。
でも、田中圭が「情でも同情でも、気持ちがそこにあるならいいと思う」って言ってたのが、ああこいつマジで熱いヤツぅ!って思って個人的には共感できた。
その人のことを想ってアクションを起こすのってそれだけで意味のあることなのでは。それに、情とか同情とかエゴとかで、嫌だなって思われても、迷惑に思われても、想いを乗せてアクションしたってことに意味があるんだ。それでアクションしてしまった自分を、エゴだったかな、悪かったかなって責めることはないと思う。
そう信じたいなあ。