Ma2O

ストレンジ・リトル・キャットのMa2Oのレビュー・感想・評価

4.0
突然始まる子供の叫び声。
感情の読めない母親の表情。
窓の外を通る縄の網。
突然現れる登場人物。
分断されながらも続いてゆく会話。
回り続けるビン。
割れるグラス、証明。
怪我をする子供。
部屋の中を飛び回る蛾。
寝たきりの老婆。
不快な笑い声、サイレン、犬の鳴き声、生活音。

ある家族のよくある休日のはずが、画面内外から持ち込まれる情報は観客にある一定の緊張感をもたらす。
通底する不協和音と繰り返されるモチーフ、映っているもの、映っていないものを読み取ろうと目も耳もを常に集中を切ることができない。
何も起きてないはずなのに、何かが起こりそうなサスペンスは一体なんなのか…。

アンゲラ・シャーネレクの映画では、決定的な場面を映さずに、何かが起こった事後を映すため、その空白の期間に対して想像力を縛り付けられるような経験をしたが、この映画は起こりうるであろう何かまでを映さないことで、未来への漠然とした不安や恐怖、苛立ちを植え付けることに成功していると思う。

思えばこの映画公開当時である2013年はリーマンショックの影響からまだ経済は不安定、ギリシャ債務問題から欧州全体の債務問題へと発展していく時期で、市井の人々は先行きへの不安を抱えながら生活をしていた中であったのかもしれない。
そんないつも通りの日常の中に潜む不穏な匂いを醸し出すことに見事に成功しているのではないだろうか。

この感覚はこの時期特有のものではなく、今を生きる人々にとっても共感を得ることができるものだと思う。
多くの社会問題と向き合うためにすごいスピードで価値観や倫理観の変化を求められる昨今、生きづらさと窮屈さからくるモヤモヤは、この映画から感じる不安と苛立ちのようなものにすごく近いものを感じる。

シャンタル・アケルマンのジャンヌ・デュエルマンと同じく、一つの家庭という細部を映すマクロな視点にも関わらず、社会的背景を想像させる手腕は見事としか言いようがない。
また、時代を特定するための具体的な固有名詞を出さないことで普遍的なものに仕上がっているように思う。

余談ではあるが、エンドロールになった瞬間に物音がし始めた館内からは、作品からの解放による安堵感に包まれていたように思える。それほどの緊張感があったことを客観視できたことは面白い体験であった。
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