ブタブタ

ラ・ジュテのブタブタのレビュー・感想・評価

ラ・ジュテ(1962年製作の映画)
4.0
黒沢清『降霊』に登場する幽霊が「幽霊を見た人」達によると本物(?)に一番近い幽霊らしい。
その撮影方法はガラス窓に写真貼っただけという極めてシンプルな方法。
『リング』のTV画面から出てくる貞子や『処女ゲバゲバ』の連続写真で襲って来る男、この二次元⇒三次元て次元を超えた瞬間に正にこの世の物では無い何かが顕現する現象が映画という一種の仮想世界の中で起きてるのかも。

『ラ・ジュテ』はご存知『12モンキーズ』の原案(原作)で、一部を除き全編連続モノクロ写真による実験SF短篇映画。

第三次世界大戦後の世界。
原爆投下後の広島の様な光景の巴里。
放射線により居住不可能な地上世界。
僅かに生き残った人類は地下で細々と生き延び「奴隷」を「タイムトラベル」で未来に送り込み資源調達(どうやって?)や失われた過去の記録を手に入れる事で再び地上世界での人類の繁栄を夢見ている。

主人公は昔、空港で見た一人の女性に取り憑かれており彼女にもう一度会いたい一心でタイムトラベルする。

映画=フィルム=連続する写真、それを解体して再構築する事によって過去=現在=未来、という時間の連続性をも解体して過去や未来が現在に、同時に存在する四次元世界を顕現させる実験を映画という二次元を舞台に実現した作品。
なのかな…

京極夏彦『陰摩羅鬼の疵』は湖の辺りに建つ城に住み花嫁を次々と殺す「伯爵」と呼ばれる男の所謂〝青髭〟の話しで、城の大広間にはあらゆる種類の「鳥」の剥製が大量に飾られてて、この「伯爵」はずっと城の中で育ってて「時間」の概念がなく、剥製の鳥達は謂わば時間が停止(というか城の中では時間という概念そのものが無い)した世界で剥製の鳥達は「永遠に生きている」と認識している(ていうか完全にキチガイだけど)
しかしそう思うと『ラ・ジュテ』は『12モンキーズ』の原作は勿論、ゴダール『アルファヴィル』押井守『紅い眼鏡』に加えて更に京極夏彦『陰摩羅鬼の疵』の元ネタなのかも。

『ラ・ジュテ』の劇中で主人公と女性が訪れる「過去の世界」の博物館で大量の剥製の動物達が登場するけど、其れは映画を見ている我々にとっては写真による「停止した時間」の中に存在しており、本来なら死んでいる剥製の動物と生きている主人公と女性の間に存在する筈の「生と死」という境界が無くなってしまい、其れを見ているこちら側には同じ存在でしかない。
「二次元」の中では全てが静止する事によって生と死すら等価となり、其れは三次元(現実世界)を超えて四次元世界の本来なら目には見えない「時間」を現出させる行為。

一次元(点)→二次元(平面)→三次元(立体)→四次元(時間)と、一番不可思議かつ1回行ってみたいのは四次元世界ですけど、今世界を危機に陥れているパンデミックの原因である新型コロナウイルスもそうですが目に見えない「ウィルス」「細菌」「放射線」そして「粒子」といった物の世界は「一次元(点)」で、其れが世界を滅ぼす可能性を秘めている。
『ラ・ジュテ』も『12モンキーズ』もそういう粒子の世界(一次元)によって滅亡した世界を時間(四次元)によって何とかしようとしている話し、だと思う。

タイムトラベルによって主人公の前に現れる「未来人」
未来の巴里は迷路の様に複雑な都市で、未来人のデザインやこの辺りの映像は『ウルトラセブン』みたいでシュール。

オチは当然『12モンキーズ』と同じくループして永遠に円環を描く世界であり、世界の終わりと世界を救う者の壮大な話しながら、描かれているのは私小説的な主人公の内宇宙であり、極個人的な「あの人に逢いたい」って思いに突き動かされるお話し。

それと『12モンキーズ』の崩壊した未来の地上世界でジェームズ(ブルース・ウィリス)が見る熊が妙に綺麗で、過去の同じ場所に剥製の熊がいるって事でやっぱりあれは全部ジェームズの妄想か、時間が停止した世界を外に居る我々が(映画として)見ているって事なのかもとか思ったんですが。

『テネット』にも影響与えてるとか「時間から脱出せよ」って、既に起きた第三次世界大戦を時間を逆転させて防ぐのか、『ラ・ジュテ』では連続写真て極めてアナログな方法で映像にしたのに対して最新の映像技術で時間=四次元を『テネット』は描いているのか、兎に角『テネット』楽しみです。
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