出会いからさいごまでの繋がりのかたち
今「食客論」を読んでいるけど、やっぱりかけがえなかったよなあとおもう
出会ったときからある意味で同朋で、なけなしのたべものをなぜか あげることができる
二人の分脈
それは、鞭で何回叩くのか、もっと叩いたほうがいいんじゃないかと上司に話している仲売商の(無理してる・規範に沿っている)感じと対照的だったのではとおもう
「何を信じるかは場所による」
仲売商の描かれ方も露悪的ではないので、観た人のなかで流れていってしまうのもわかるが よかったです
私はやっぱりソーシャルよりタイマンが好きなんだよな
ドーナツに並ぶ人々のカット、パリみたいだった