No.2572
【ヴァルツ 主役を食う者】
タランティーノの前作「イングロリアス・バスターズ」は、完全にクリストフ・ヴァルツの一人勝ちであった。
存在感、演技ともに傑出した一人勝ちであったがゆえに、ブラピの良さも引き出されていた、ともいえる。
ちなみに、ヴァルツが初受賞したこの2009年のアカデミー助演男優賞の他候補は、
・マット・デイモン「インビクタス/負けざる者たち」
・ウディ・ハレルソン「メッセンジャー」
・クリストファー・プラマー「終着駅 トルストイ最後の旅」
・スタンリー・トゥッチ「ラブリーボーン」
の4人である。
いずれも実力派ではあるが、受賞となると決定打に欠けるきらいがあり、結果的にヴァルツが圧倒的支持を得て初の栄冠に輝いたのも納得である。
しかるに、今作「ジャンゴ」はどうか。
まず、今作でのヴァルツは「主役」である。ジェイミー・フォックスとのW主役である。ポスターでもそうなっている。
また、中盤からディカプリオやサミュエル・L・ジャクソンなど、アクの強い役者が「助演」として出てくる。
それなのに、またもやヴァルツは「助演」としてオスカーを受賞した。「助演」で、である。
これはどうなっているのか。どう見ても主演である。
役柄からして主演扱いでないとおかしい。
百歩譲って、ジェイミー・フォックスも主演候補になったので、押し出される形でヴァルツが助演に回った、というのならわかる。
しかし、今作ではヴァルツ以外、誰も候補になっていない。ディカプリオやサミュエル・ジャクソンどころか、ジェイミー・フォックスでさえ候補入りしていない。
これもどう考えてもおかしい。今作のフォックスの役・ジャンゴは、冷静に考えるととてつもなく難しい役である。
「グリーンブック」のマハーシャラ・アリのように、相当に難しい役である。
それなのに、フォックスは「無視」された。なぜなのかはわからないが(当然だが、演技力が伴っていない、という理由は当たらないと思われる)、「白人を殺しまくる黒人の役に、白人の票が集まるわけがない」というなら、
「白人を殺しまくったヴァルツはなぜ受賞したのか」、ということになる。
※ちなみに、この年の主演男優賞候補は、
・ダニエル・デイ=ルイス「リンカーン」
・ブラッドリー・クーパー「世界にひとつのプレイブック」
・ヒュー・ジャックマン「レ・ミゼラブル」
・ホアキン・フェニックス「ザ・マスター」
・デンゼル・ワシントン「フライト」
で、フォックスが候補入りできなかった代わりと言ってはなんだが、本命ではないデンゼル・ワシントンが「黒人枠」で候補入りしたような、そんな印象がある。
そして、本来はヴァルツもここに入っていないとおかしいのである。
そのヴァルツが受賞した助演男優賞の他候補は、
・アラン・アーキン「アルゴ」
・ロバート・デ・ニーロ「世界にひとつのプレイブック」
・フィリップ・シーモア・ホフマン「ザ・マスター」
・トミー・リー・ジョーンズ「リンカーン」
と、いずれも大ベテランばかりの混戦となっている。ヴァルツはゴールデングローブも獲っているので、オスカーには一番近かったと言えばそうなのだが、このメンツを今見返してみると、ホフマンあたりが受賞していてもおかしくない。
それなのにこの混戦を勝ち抜き、たった3年前に受賞したばかりのヴァルツがまた受賞してしまうとは、いかに彼がハリウッドから愛され、同業者から高い評価を受けていたかがわかろうというものだ。
ディカプリオたちと出会うまでは、完全にジャンゴとシュルツの映画である。冒頭のシーンからシュルツの独壇場のように、彼の性格をじっくり浮かび上がらせるように撮り上げている。
ジャンゴとシュルツは「彼ら自身に相応の存在感」で演じられている。変な言い方だが、劇画調である。
ところが、彼らと手に汗握る駆け引きを続け、悪の権化のように振る舞うディカプリオ(キャンディ)とサミュエル・ジャクソン(スティーブン)は、「戯画調」である。明らかにカリカチュアライズ(戯画化)されている。
劇画調 vs 戯画調
この戦いを「意識して」楽しめないと、キャンディとスティーブンは何だか「ちょっと浮いてる」ような演技にさえ見えてくる。
しかも、彼ら「戯画組」が前面に出ている時、「劇画組」のシュルツは、絶対に前に出てこない。急に置き物になってしまったかのように、大人しく駆け引きに応じてるように見える。
・・・ところが、である。大人しく駆け引きも終わり、取引成立・・・かと思われたところから、シュルツが一気に前に出てくるところからが、この映画の本当の面白さであり、ヴァルツの底知れない演技力の本領発揮、なのである。