薄暗い曲がり角と神父の座る姿勢が、空間が歪んでるようにしか見えないのをサラッと入れてる感じはある。最後の丘陵の墓場も三脚を斜面にそのまま立てたりして。
やっぱり画面が無闇に語りすぎない寡黙な感じがあって、でも映ってる物は美しいし。日本と同じような湿度の環境で撮ってそうなんだけど、こうも人体や物の質感を、良い方向で違う風に撮れるのは何でなんだろうというのを考えていかなあかん。
あとこの映画の「弔い」というテーマが今俺が作ってる映画とも重なるので、話の畳み方はなるほどねという感じ。
追記
コロッサルユース、ホースマネーでは過去(思い出)に現在の自分が取り残されているというのをそのまま映す画面を頻繁にやってたけど、この映画ではそれを最後の最後にやってるってことなんだろうか。
ヴェントゥーラ(劇的に語る現実)とヴィタリナ(現実的に語る劇)というか…。