ワンコ

春江水暖~しゅんこうすいだんのワンコのレビュー・感想・評価

4.5
【帰魂、遊魂、富春山居図】

映画を観た後、気になったことがあって、少し調べてみて、なるほどと、そういう示唆もあったんじゃないかと、色々考えさせられる作品だった。

八卦の占い師が、確か、「帰魂」と出たから、求める人は間もなく戻ってくるし、お母さんは大丈夫だ、みたいなことを言っていた。

さすが、「当たるも八卦、当たらぬも八卦」の占いだけあって、占ってもらった本人は、きっとハズレもハズレだと思っていたに違いない。

八卦の占い師は、その時、帰魂に対して、「遊魂」は、まだ、戻らないという意味だというようなことも言っていた。
彷徨っているというような意味でもあるように感じた。

この作品は、富陽の家族の物語だが、実は、老いた母を中心にした息子たちや、その家族の「遊魂」と「帰魂」のストーリーなのではないかと思うのだ。

祖母が、孫娘のグーシーに、自分の時代には自由な結婚など考えられなかったが、今だからこそ、愛するジャンと結婚しなさいと促す。

古い建物が取り壊されて再開発の進む富陽の街にあって、若者は古いルールに囚われずに自由に生きなさいと背中を押しているようにも思えた。

グーシーの母親や叔父夫婦のように古い考え方にこだわっていても、時代も、街も、周りの建物も変わっていくのだ。

だが、それは、決して家族や故郷を捨てるということではない。

街並みは変わっても、富陽は富陽だ。
離れ離れになろうと、家族は家族なのだ。
アイデンティティは、カタチの問題ではないのだ。

映画の中で引用される「富春山居図」は、もともと乾隆帝の持ち物だったこともあり、中国にとって国宝のようなものなのだが、第二次世界大戦後の中国の国共内戦の際に、中華民国政府が大陸から台湾に持ち出した文化財の一つで、今は、台北の故宮博物院に所蔵されている。

そして、「富春山居図」は、中国にある「剰山図」と対(つい)のものとされている。

これを、どう解釈するかは、人によって様々だと思うが、僕は、中国に帰ってくるべきものだという意味で引用されたのではないと思う。

中国の風景は変わった。
既に「富春山居図」のような風景ではない。

だが、「富春山居図」は紛れもない、かつての中国の風景なのだ。

それを伝えていることが重要なのであって、「富春山居図」が、今、何処にあるかは問題ではないのだと伝えようとしているのではないのだろうか。

「帰魂」、「遊魂」は、人の居場所のことではなく、それこそ魂の居場所のことではないのか。

亡くなった祖母の魂は、家族それぞれの元に戻り、残された家族は、時に彷徨いながらも、これからもずっと生きていくのだ。
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