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劇場版「鬼滅の刃」無限列車編のFilmarksのレビュー・感想・評価

5.0
ギリギリの圧倒的倫理観、死生観をピンポイントに突く。

シリーズ終始一貫して作者(もしくは炭治郎)の怒り(クズへの徹底した嫌悪、侮蔑)と優しさ(クズへと堕ちた背景への寄り添い)がひしひしと伝わる作品。悪に対する怒りと優しさのなんともいえないギリギリの両立をこれほど絶妙に、明確に、そして終始一貫して執拗に描いた作品は初めてな気がする。

煉獄さん
「何度でも言おう 君と俺とでは価値基準が違う 俺は如何なる理由があろうとも 鬼にならない」

中動態、自然(じねん)、他力本願、無我、義務論、定言命法、徳倫理学、内発性、感染(ミメーシス)、覚悟など、炭治郎を筆頭に鬼殺隊の振る舞いは色んなキーワードを想起させる(しらんけど)。彼ら彼女らの振る舞いは内発的であるからこそ尊いのであって、強制や打算に基づくものではない。死の美化、男らしさ2.0といった批判はこの内発性を見落としているのではないか。

もっともこれだけ巨大なムーブメントが起これば、内発的な倫理観の「強制」という全体主義的な空気(やばめのキメハラ)に繋がりうるし、その匂いを嗅ぎ分ける重要な批判でもある気はする。


中島岳志 簡潔なテーマ概要
☆https://www.tokyo-np.co.jp/amp/article/75911

宮台
マル激
・https://youtu.be/dh16aNaz0i0
☆0:00~ https://youtu.be/rkViwzgZJzg
☆19:40~https://youtu.be/Pqwgvtvt318
ゴールデンラジオ
・https://youtu.be/7OnMhgLUrKQ
NewsPicks
☆https://m.newspicks.com/live-movie/1031
宮台真司的倫理観、価値観を宮台真司より分かりやすく表現している作品でもあると思った。

宇多丸
・https://youtu.be/MqICxvURJpI

マンガスクリプトDr.ごとう
・https://youtu.be/eOa9j1CgYjk

『鬼滅の刃』小さな子供のいる家庭で、大半の親は見せない→園内で大人気なのに「誰も内容は知らない」現象が興味深い
・https://togetter.com/li/1638825

甘露寺蜜璃と胡蝶しのぶ 『鬼滅の刃』で2人の「女神(ミューズ)」が必要だった意味
・https://dot.asahi.com/dot/2020122300055.html

なぜ煉獄杏寿郎は「夢」を見なかったのか 映画『鬼滅の刃』の重要シーンでわかる「炎柱」の生き様〈dot.〉
☆https://twitter.com/AkikoUE1/status/1360779499260973061?s=19
☆https://twitter.com/AkikoUE1/status/1360788025765076995?s=19
☆https://dot.asahi.com/dot/2021021300017.html
不条理を引き受けてそれでも前進する覚悟

『鬼滅の刃』、中1の娘を魅了した「いい子な主人公・炭治郎」…その〈新しさと古さ〉
☆https://gendai.ismedia.jp/articles/-/77444

【鬼滅の刃】竈門炭治郎が示した新しい倫理とは?【新しい倫理?】
・https://togetter.com/li/1626865

『鬼滅の刃』が若者の命を軽視する一方、重視しているものは一体何か
☆https://gendai.ismedia.jp/articles/-/78813
今のところ唯一深く納得した批判

「鬼滅の刃」で考えるナショナリズム 煉獄杏寿郎の教え
☆https://twitter.com/Hiroyuki_Ota1/status/1334318822052904961?s=19
・https://twitter.com/C4Dbeginner/status/1334654777678970883?s=19
・https://twitter.com/ysaito_asahi/status/1334349838813544448?s=19

『鬼滅の刃』はナショナリズム肯定作品なのか?を考えてみる
☆https://twitter.com/nerina_tk/status/1335234235825680384?s=19

予備知識ゼロの『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』レビュー。日本人の本能が『鬼滅』を求めていた
・https://twitter.com/aidatoji/status/1348563429875859456?s=19

誰に出会うか、感染するかが別れ道
・https://twitter.com/i_kaseki/status/1321290224262127623?s=19

鬼滅の刃は小中学生に男の責任たるものをインストールさせるマッチョ思想的漫画
・https://twitter.com/akihiro_koyama/status/1256940344324718592?s=19

「鬼滅の刃」に女性が熱狂する理由
・https://twitter.com/akihiro_koyama/status/1319927359873560577?s=19

Amazonで「鬼滅の刃」のコミックを買ってしまったのに、どうしても読み始める気になれない。
・https://twitter.com/diceK_sawayama/status/1340795789912653824?s=19

斎藤環 「鬼滅の刃」の謎 あるいは超越論的炭治郎
・https://twitter.com/i_kaseki/status/1339407255058305024?t=-SpEqxIBCcmON8xZWAfCrQ&s=19
☆https://twitter.com/pentaxxx/status/1339178713338941440?s=19
・https://twitter.com/pentaxxx/status/1339773829673934849?s=19
・https://note.com/tamakisaito/n/n47ea5832fe1a
「悪に対する怒りと優しさのなんともいえないギリギリの両立」がなんなのか、よく分かった。
(以下抜粋)
「敵に同情するから素晴らしい、というのとは少し違う。悪はきっちりと裁き、罰を与え、その上で存在は肯定する。」
  「「鬼滅」の世界において「悪」はその属人性から解放されている。それは、正義も属人的なものではなく、人から人へ継承される想いとして描かれるのと同じことである。それは「罪を憎んで人を憎まず」とは少し異なる。結論から先に言えば「人を慈しみつつ罪は裁く」ということだ。筆者の考えでは、これは近年の当事者研究の動向とも接続可能な、新しい倫理観である。」
「覚悟とは「もしこの一線を越えてしまったら、たとえ被害者であろうと裁く」という覚悟のことだ。ある種の罪は、許されてしまうことが地獄につながる。許さないこと、毅然として裁くことが時に救済となる可能性を、「鬼滅」はきわめて説得的に描く。」
「加害者に転じた被害者をいかに処遇すべきか。この問いに対して、「鬼滅」はぎりぎりの、しかしこのうえなく優しい解答を試みている。炭治郎は鬼の責任を追求することはしない。彼は知っているかのようだ。鬼は人間に戻った瞬間に、責任を自覚する。そして尊厳と責任の主体として死んでいく。それはあたかも「免責されることで引責可能な主体となる」(國分功一郎)過程にも似てみえる。」
「サイコパスの「柱」たちが後天的に獲得したトラウマ的な正義とはまったく異質の、「優しさという生得的狂気」が炭治郎の武器なのだ。それをあえて「狂気」と呼ぶのは、理性によるコントロールの外側にある、というほどの意味である。炭治郎の正義は、理性の産物などではない。だから彼は自身の正義については微塵の躊躇もない。」
「ここで最終巻での愈史郎(本作の真の主人公である)の驚くべき科白を思い起こそう。炭治郎は、禰豆子よりも無惨よりも鬼の素質があったのだと。つまり炭治郎は、剣技で無惨を圧倒した継国縁壱の技を継承したうえに、鬼の始祖よりも鬼の資質があるということになる。そんなとんでもない人間に、まともな「心理」などあるはずもない。以上の完璧な論証からも明らかであるように、炭治郎こそは本作における最も謎めいた「空虚な中心」であり、彼の存在がこの群像劇に遠近法をもたらす消失点にほかならない。」
「炭治郎をどうとらえるかで「鬼滅」の意義はがらりと変貌する。あくまで少年漫画の王道キャラととらえれば、笑って泣ける王道バトル漫画ともなるだろう。しかし「優しさという生得的狂気」に憑かれた少年、と理解するなら、「鬼滅」は「トラウマ的な責任と倫理」の問題を生成し続ける異様な物語、に変貌するだろう。そのとき「優しさ」や「家族愛」が本当は何を意味しているのかが繰り返し問われ、あるいは再定義されることになるだろう。」
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