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劇場版「鬼滅の刃」無限列車編のGKのレビュー・感想・評価

4.0
公開から1週間、レイトショーで鑑賞してきた。

原作屈指のあの名シーンが盛り込まれているため、
「泣くかな〜いやそう認識してるから泣かないかな」
と思っていたが、やられた。煉獄さんカッコイイ。


社会現象になっている本作。
なぜ「鬼滅の刃」はここまでブームになっているのか。
日本人に刺さっているのか。

まず制作がUfotableだから、各キャラが魅力的だから、作品のテンポが良いから…
など様々な切り口があるが、今回は竈門炭治郎に精神性について触れたい。

ご存知、竈門炭治郎くん。
彼は「鬼になった妹を元に戻すため」に鬼狩りをしている。
お金が欲しいわけではない。鬼殺隊で出世して柱になりたいわけではない。妹を人間に戻す、この1点しか彼の頭にはない。

そんな彼の精神性が、現代日本人に刺さっているのだと思う。
どういうことか。


①竈門炭治郎はブレない
彼は誰に何を言われようとブレない。
すべての行動、言動は最終的に「鬼を倒して妹を救う」ことにつながる。
だからこそ本来は優しさの塊である炭治郎が、「剣を振り回し鬼の首を切る」という暴力的な行為をすることができる。
長生きしたければ、誰よりも強くなりたければ、鬼になるという選択もあるだろう。
「鬼にならないか」
強い鬼たちは誘惑する。ただ彼はそうしない。妹を救うために。


答えのない時代、と言われて長くたつが、今後も答えのない時代は続く。
答えがないことは不安だ。拠り所がないから。
何を信じればいいのか、何を目指せばいいのか、何のために生きればいいのか。。
日本人のほとんどは信じる宗教も持たない。

一方で炭治郎。
信じるもの/こと、目指すこと、何のための生きるのか、それが確固たるものとしてある。

彼を見て、安心する人、決意を新たにする人。
そんな人が多いのではなかろうか。


②竈門炭治郎は世界を救わない
結果的に世界を救うことにつながるのだが、何度も言うように彼のプリンシプルは「妹を救うこと」だ。
人を食う鬼から世界を救うことではない。
だから炭治郎は世界を救う組織である鬼殺隊のトップ、柱にも逆らう。
禰豆子を救えるのであれば、鬼殺隊を裏切る選択をする可能性もある。

また私利私欲で動くことはない。
出世、お金、名。そんなものは求めていない。

「Me」でも「World」でもなく「You」のため

それが竈門炭治郎の精神性だ。


日本の現状を考えてみる。
『Japan as Number One』日本が世界経済を引っ張る(日本が世界を救う)時代は終わりを告げ、00年代は迷いの時代だった。
”自分たちの手で世界は救えない、だったらどうすればいいのか。。”
そんな精神性を反映したのが、所謂「セカイ系」の作品だ。

”セカイを押し付けられても困る。自分の望みは違うから。”
多くのセカイ系の作品内では、そうして自分の望みを優先し、セカイを救うことを放棄する。

「World」ではなく「Me」を取る

それが00年代、迷いの時代の精神性だ。


そして2010年代、2020年。
日本は「世界のTop of the Topに立つことが難しく、徐々に衰退していく」というのが共通認識となっている。
そうなると迷わなくなる。「World」はムリ。

諦めとともに大きくなってくるのが、小さな「World」、すなわち「Me」と「You」の世界観だ。
「Me(自分)」と「You(自分が知っている家族、友人)」の小さな世界の中が良ければいい、幸せであればいい。
そういう考え方になってくる。

『「Me」と「You」の小さな世界を大事にする』という現代の日本人の精神性が、
炭治郎の『「Me」でも「World」でもなく「You」のため』と精神性とかぶる。

特定の層からではなく、性別年齢を超えて、鬼滅が、炭治郎が支持されているのは、精神性への共感だろう。


今日はここまで。
『鬼滅の刃』はその他にも触れたい点(例えば、なぜ鬼舞辻無惨は魅力的なのか)があるがそれはまた別の機会に。
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