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聖なる犯罪者のmatsushiのレビュー・感想・評価

聖なる犯罪者(2019年製作の映画)
4.4
「赦すことは忘れることではない。赦すことは愛することだ」
「評価するのではなく、理解して欲しいのだ」

あらすじを見る限り、主人公の偽装が暴かれる緊張感を期待してしまっていたけど、軸はそこではなかった。主人公の内なる正義感とともに、村のある出来事の真相を突き止めていくという緊張感が本作の主軸となっている。これによって主人公だけの物語で終わることなく、より重厚なプロットに昇華されていて、個人的にはとても満足。宗教色もあまり強くなく、R18要素もあまり感じられず、とっつきやすいストーリーであったように思える。

心に強く訴え、見た後に考えさせられるセリフの数々はとても印象的だった。「赦しとは」、「正義とは」、「善悪とは」を浮き彫りにし、観客の心に強く訴えかける。赦しとは忘却ではなく愛すること。出来事や行為、人物に評価を下すのではなく、理解を。ものすごく響くものがあった。
観賞後に気づいたのだが、本作を見ている中で、誰が悪者で誰が善者なのかを考えてしまっていた自分がいた。無意識のうちに村人たちの行為、主人公の行為に評価を下そうとしていたのだ。けれど、村の"ある出来事"はなかなか評価しにくいもので、決して安易に断定できるようなものではなかった。
しかしそれでいいのかもしれない。「評価するのではなく、理解して欲しいのだ」という作中の台詞の通り、観客がすべきことは"ある出来事"、事件に関わる人の心情や行為、遺族の気持ちなどの全てを理解しようと努め、愛してあげることなのだろう。村だけではなく、主人公の行為や心情も、それが悪いことであれ、良いことであれ、まずは理解し、愛することが正解なのかもしれない。本作では多くの二項対立が存在するが、一貫して訴えていることは、理解し、愛するという"中道"の考え方である。理解の先にあるのが愛であり、それが重要なのであると気付かされた。

また、主人公がイエス・キリストのメタファーであるように思える点が多くある。ユダヤ教のあり方を批判し、人々に教えを説いていたイエスと、事件を忘れようと努める村のあり方を批判し、神の教えもしくは自らの正義を説いていた主人公。
そして、ユダの裏切りにより人類の罪を背負い磔の刑となったイエスと、元少年院の男の告げ口により、村の罪を背負いもう一度捕まった主人公。
主人公のおかげで、村はお互いに理解し合えるようになった。主人公が上半身裸になって両手を広げ、教会を去ったのは、おそらくイエスのモチーフであろう。

本作の序盤のミサにて主人公は、教会に飾られてあるイエスの像をみて、「彼のようにはなれない」と言っていた。しかし、主人公は一見身分を偽装し、自分勝手な行為をした悪者に見えて、村にとっては罪を背負い村に新しい教えを伝えてくれたイエスとなったのではないだろうか。

主人公、村、娘の三者三様のラストシーンはとても印象深い。特に主人公のラストシーンは圧巻の一言に尽きる。主人公の強く狂気的な眼は本当に素晴らしかった。
忘却と愛、赦しと償い、善と悪、理解と評価。強く心に訴えるテーマ性と神聖さと狂気さが混在するヴィジュアル、とっつきやすいストーリー。傑作でした。

クラブで主人公が目パッキパキで縦ノリしてんのめっちゃ笑っちゃった。

にしてもレビュー長すぎん???読みにくくてごめんなさい🙇‍♂️
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