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そして私は歩く
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『そして私は歩く』に投稿された感想・評価

☑️『そして私は歩く』及び『わたしは元気』『叫び声』▶️▶️
これも昨年山形で最も観たかった作品のひとつだったが、時間が合わず。やっと観れたが、予想に違わず、というか予想を超えて純度そのものの形象化、のような作品。インドの風景·精神風土、そのものを感じそこに呼吸する生と同化し、煩わしいものを捨てきれたような錯覚に陥った。こんなの経験ないが、最も近いといえば、パラジャーノフの『ざくろの色』か、個人的に最も印象的で偉大と思う映画だが、それと並べても遜色はない。今のグローバル化世界にネットワークを拡げず、足元とそこからの視界の世界、太古からの身近なつましい·しかし訳判らずも感覚的に深遠でもある宗教観だけのフィルターを使用する。たどたどしいくらいの語りが、何も確かなものない儚い世界の確証出来るものとリンクしてくる。
ネガ画面の連続、OL、筆で紙他に自在描き込みと針金曲げ細工による生物形態様々(の敷き詰め)、カメラを真下に向け歩く自分の足と影の捉え続け、そうでなくても地面やそこにはえてる草越し·流れる河の水面ギリギリから·等小津と違いハッキリ分かるローアングルへのへばりつき、羊や巡礼·遊牧民らの拡がりとうごく列の存在、虫や茎や小動物らの係わり、地面に敷かれたり·宙を吊るされたり·たなびくような布·紙·衣類·木材製·綱渡り芸らのこの世を超えたような独自原色配置とそれ自体の生命感。しかし、それぞれがショット単位·ショット内においても干渉·絡み少なくスックと独自に存在し美を間接的に与えあってる。
「旅は必要。動かずいると悪も生まれくる。しかし、定住民は遊牧民を蔑視し、何とか定着させんとす。権力支配·徴税対象化からも」「巡礼は閃きに優れた遊牧民と似る。知性よりは感情が大切」「眠ることからの、幻と目覚めの生まれ。一体化·相互依存は対等な関係性だけに生まれる。炎が集まり光となる、最も充実した愛は幻なのか、自分の内にあるのか」「遊牧に終点はあっても、巡礼は終わらない、前に進むだけ。神の姿は如何なるかを追い続け、自らは浮かび続ける凧で、その糸は神が握っている」「人々の賑やかさ·騒々しさを懐かしみ、戻りたくもあるが」 頼りないものほど、純粋で強い存在、存在への手だてとなる感覚を、西洋的価値観とは、また東洋的権威とはまるで離れたところから伝えくる、見た目、簡素過ぎ、弱々し過ぎる、まるで威勢·肉付きのない限りなく華奢でそれ故濁りと全く無縁の映画。パラジャーノフもだが、ロッセリーニの宗教ものにも近いのかな。よく体感すると、各カット各描写がそれだけで屹立している、特異道具立ての綱渡りへのカット割りに於いても。唯一無二の世界。
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終映が、7時前だったので、もしやと大田原愚豚舎の新作は7時20分からとその二本立てへ、予定外吉祥寺に向かう。間に合った。只、本作の余韻が消えてなかったのか、感銘はイマイチ。キアロスタミを真似た様な子どもたちの世界の反復·往復·大人覗き見の映画と、その作品を劇中ラスト近くの観劇対象で入れ込み·『七日』の世界をもう一度、只モノクロのハイとローのコントラストや動き存在のニュアンスを強めた映画。揺るがぬモノクロ世界のFIXやフォローの長回し意固地、音楽も絡み囃し不気味さと可笑しみの綱引き、は相変わらずも、手持ちでの演技や存在感の解放のウエイトも増しややラフ、BOは健在も、カット割·カット繋ぎは才気弱まり弛い。短尺になって、ホン·サンスのように鋭利さ増すならともかく、自己模倣や世のスタンダード接近に安易に向かってるところが引っ掛かり、毒素や狂気が薄れた気もする。
字幕翻訳 小山美穂
ym

ymの感想・評価

4.3
祈りと旅について