このレビューはネタバレを含みます
映画のための設定というより、設定のための映画という感じがします。
主人公がトランスジェンダーなのも、イチカの家庭環境が過酷なのも、それが原因でナギサの元に預けられるのも、イチカがバレエを始めるのも、友人りんがバレエを辞めるのも、そして、ナギサが命の危機に晒されるのも、まず設定ありきで、それを語らせるために、たまたま映画を利用しているだけに過ぎないという印象がどうしても拭えません。
設定ありきですから、台詞も「言わされてる感」が最後まで付き纏います。その典型が夜の公園で踊るナギサとイチカの二人に声をかけてくる老人です。わざとらしくフレームインしてきて、タイトルの由縁と思しき台詞を吐いて去っていく。
言わせたくてしょうがなかったのでしょう。
当然、映画にはシナリオがあって、それに基づいて撮影されるわけですが、本作には作り手側の都合が露骨に見え隠れしてしまっているのです。あらゆる事象を、予め用意されている「型」に当てはめていく作業が、そこには映ってしまっているのです。それを如何に見せないように、尚且つ、自分事のように観客を没入させるのが映画の醍醐味であるはずです。
いろんな意味で、先日鑑賞したカサヴェテスの『フェイシズ』とは真逆の映画だなと思いました。