ジョー

ミッドナイトスワンのジョーのレビュー・感想・評価

ミッドナイトスワン(2020年製作の映画)
2.9
今まで低かった地位を引き上げるためには、他の地位を下げて対等にするのが正しい道なのかどうか



見て欲しいのはLGBTQIA?それともMW?
誰に向けた映画なのかが分からない作品だった。そしてなにより詰め込みすぎ。

セクシャルマイノリティの方々の思い通りに行かない人生を描いた作品は幾つもある。そしてそれらがLGBTQというジャンルの作品として扱われている現実がある。

ここで一旦映画の構成の話を少しする。
長編映画はメインストリーム(例:地球を救え!)とサブストリーム(例:芽生えていく絆)を同時進行させて2時間飽きさせない作りになっていることが多い。

この作品に当てはめるとどうなるか考えてみた。
メイン:少女の才能を伸ばして輝かしい未来を歩ませる(成長)
サブ:セクシャルマイノリティのリアルな人生を描く(ドキュメンタリー)

まずメイン(光)に絡む人物が多すぎる。荒れた母親、嫉妬する女学生、母親になれないトランスジェンダー、夢を投影する女性講師。
本来ならこっち一本でやったとしてもお腹いっぱいの内容だ。

そしてサブ(闇)
コンセプトバーにも関わらず「オカマに負けてるぞお前ら」と全方向に喧嘩を売る時代錯誤すぎる男。
「今、流行ってるよね、LGBT、勉強してるから分かるよ」などと到底勉強しているようには思えない男。
「水着に着替えてよ」とオプション外のことを平気で押し付けてくる男。

このステレオタイプな表現を見てLGBTQの方々はなんと思うだろうか?
もしこれが日常の一部なのであれば共感と怒りを獲得出来たのだろう。

そしてLGBTQ以外の人たちはどう感じるか?これは様々な意見があると思うので、私の極端なを感想を一つ。



夢を追うメインには女性がたくさん登場。
社会の流れに乗れない闇のサブパートには悪い男が跋扈している。

メディアには、悪の一部を切り取るとしたら、その切り取られた悪は男性でなくてはならないという暗黙のルールがある。

LGBTQというジェンダー問題を扱っていながら、しっかりと男性に罪を着せる事に成功したメディアメディアした2時間特番になってしまっていた。
ジョー

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