どうしようもなく痛くて生き辛くて
そんな中時折差し込む光どこまでも儚く美しい映画でした。
選択に、在り方に、ルールなんてない。
なににおいても形はそれぞれ。
痛くて、脆くて、儚くて、そして強かった。
トランスジェンダーの心の痛みはもちろんとして、肉体的な痛みに正面から向き合い、あえてそれを言語化することを避けて表現したアプローチには驚かされました。
社会の不寛容さが浮き彫りになっている。
実社会で生きる術、過酷な治療、周りからの好奇の目、居場所なき孤独。
「今流行っているでしょう。LGBTって」
鋭いセリフだった。
LGBTって一括りにされているけどその中でもトランスジェンダーは偏見がなくなっても、肉体的な解決はできなくて。
社会から孤立して孤独である凪沙と一果。
2人の共通点は絆へと徐々に変化し、疑似親子のような感じ、2人の絆と愛を強く感じました。
【凪沙】--------------------
不器用ながらに必死になってもがいて、
大切な人のために自分を捧げる凪沙を見て涙が溢れた。
確かに綺麗な瞬間もあるのだけど、どちらかというとこの映画において凪沙は美しくない。
不器用さが所作から伝わる。骨格はどうしたった男性的で、さらに年齢を重ねたことで美しさは衰えていっている。
いつも戸惑いの視線を浴びている存在だと思う。
モデルの女性が店に来て嬌声をあげていたとき、ショーを馬鹿にする酔客の罵声、
いずれもホームであるはずの場で凪沙の心がやすりにかけられているようで苦しかった。
コンクールの後凪沙が会場から去って、手術を受ける。
ずっと踏ん切りがつかなくて、本当の母を目の当たりにして決意する。
所々、男気を感じた。
ずっと女性として生きていたかった。
小さい頃から苦しんでいて。死ぬ時まで夢見ていた。
綺麗だなあって幻影の水着の少女や一果に漏らす言葉。
自分は綺麗なものにはなれないと痛く苦しく嘆くように漏らす言葉。
喉から手が出るほど手に入れたいのに。
キャバ嬢とか仔犬を飼っているけど凪沙は金魚なのがとても良い。
先生にお母さんと呼ばれて喜ぶ凪沙の表情が本当に女性に見えた。
「うちらみたいなんは、ずっと1人で生きていかんといけんのじゃ。強うならんと、いかんで」
腕を噛む一果に言うセリフ。涙が溢れた。
背負っているものの「重み」とそして誰にも共有できない、1人で背負い込むしかない「孤独」をここまで身体表現と表情で観客に伝えられてしまう草彅さんの演技に愕然としました。
【一果・りん】--------------------
「一果最近明るくなったね」
「なってないよ」
「一果最近バレエ上手くなったね」
「なってないよ」
「一果最近可愛くなったね」
「なってないよ」
対照的な関係の一果とりん。
りんは恵まれていると感じたけれど、親から所有物のように扱われていて自分の居場所がわからなかったんだろうな。
やらされていると言いつつも、唯一の心の拠り所はバレエで、自由に踊っている一果を見て羨ましそうにしている表情は切なかった。
ネグレクトによって孤独に生きてきた一果は何に対しても無関心で静かに落ちている。上手く言葉に出せなくて腕を噛む。
唯一興味を持ったのがバレエ。
一果もバレエが自分の心の拠り所だったんだろうなあ。
バレエという共通点でじわじわと縮まっていく2人の距離感がとても好きでした。
凪沙が髪を切って朝を迎えた時の一果は私のために生きるんじゃなくて自分のために生きてほしいと思って。
「頼んでいない」
一果の不器用さと優しさから叫んだ言葉なんだろうな。
一果が作るハニージンジャーソテーが焦げていて。でもマスターしたから私のものよって言うやりとり好き。
一果のコンテスト当日。
りんが結婚式場で同じように踊る。
彼女も踊っているときが唯一の居場所。
ゲガをして踊れなくて苦しくて。
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高校を卒業して、やっと東京に戻り、前みたいに生活できるかと思っていたのに。
ここからの展開がなんとなく予感したけど想像以上に苦しかった。
汚い部屋、もが着いた金魚のいない水槽に餌をあげるシーンが鮮烈。
らんまがなんとも皮肉的
あんな風に男女を使い分けれたらいいのに。
社会から溢れ落ちてしまった孤独や生き辛さ、本質的な感情だけを集め、純粋に紡ぎ切った内田監督の演出力。
この映画が「自分の居る場所」に悩みを抱いている人に知ってもらいたい。
この映画を見てチョコレートドーナツ思い出した。