ボブおじさん

由宇子の天秤のボブおじさんのレビュー・感想・評価

由宇子の天秤(2020年製作の映画)
4.1
人は皆、自分の中に〝正義の天秤〟を持っている。その天秤は人によってバランスが違う。不思議なことに大抵の人は、自分の天秤のバランスは正しいのだと思い込んでいる。

だから自分の天秤と同じようなバランスの人を正しい人と思い。違うバランスの人を間違った人だと思い込む。あの人の支点は右にずれてるとか左にずれてるとか言っているが、誰も自分の天秤の支点を外から見ることは出来ない。

ドキュメンタリーディレクターの由宇子もまた、自分の天秤が正しいと信じて疑わなかった。だがある日、父親が思いがけない行動をとったことにより、由宇子の天秤の支点はぐらぐらと揺らぎ出す。

前半ヒロインの由宇子の揺るぎない正義を忖度にまみれたテレビ局サイドとの対比で歯切れ良く描く。ドキュメンタリー監督として信念を持ち、何事にも屈しないその姿勢はジャーナリストとして頼もしく爽快だ。

だが、正直に言えば正義を振りかざすそのスタンスに、ほんの少しだけだが息苦しさを感じてしまったのも事実である😅

映画は、女子高生自殺事件の取材模様と由宇子の父親が起こした不祥事が同時に描かれる。そして片方はある時突然、もう片方はジワリジワリと天秤の支点が動いていく。

人は常日頃、自分の天秤であらゆることをジャッジしている。天秤の上に乗せるのは様々なフィルターを通して集められたごく限られた情報でしかない。情報は時に偏っていたり、間違っている場合もある。

1つの新しい情報で天秤はいとも容易く逆に傾く。そこに私情が加われば、支点は恣意的に動かされる。

見終わった後、いろいろと考えさせられる映画だった。スッキリとした結論を出すだけがいい映画とは限らない。自分がもしも由宇子の立場ならどんな結論を出しただろか?


〈余談ですが〉
映画の中でテレビ放送の編集の怖さを映すシーンがあった。撮影したインタビュー映像のどこをどう繋ぐかで視聴者の感情を簡単に操作できてしまうことがわかる。

枯れた草木の中にカメラが寄っていき、一輪の美しい花を映し出すと人はそこに希望を見出す。だが逆に一輪の美しい花のアップからカメラが引いて辺り一面の枯れ果てた草木を映せば、人はそこに絶望を感じる。

編集で映す順番を入れ替えるだけで、真逆の印象を視聴者に与えることができるのだ。日常的に行われているこの情報操作には気をつけていても騙される😅