Jeffrey

海辺の家のJeffreyのレビュー・感想・評価

海辺の家(2001年製作の映画)
3.8
‪ 「海辺の家」

冒頭、蒼穹の下にあばら屋がある。そこは絆と再生が起きる一家の獅子の懐になる。余命三か月、宣告、息子との不仲、解雇、愛人、離婚、近所の女の子。今、家族の時間を大切にする話が映される…本作はアーウィン・ウィンクラー監督が2001年に監督したヒューマンドラマで、この度DVDにて3度目の鑑賞したが傑作である。この作品は、ヘイデン・クリステンセンが出演と言うことで、たまたま中古のDVDを購入して鑑賞してみた。するとものすごい"拾い物"の映画だった。

反抗期の息子と反発しながら余命わずかな父親と一緒に家を作ると言う単純な内容なのだが、タイトルからは想像のつかない愛をテーマにした父と子の絆のストーリーである。もしこの作品をレンタルショップなどでふと目にして借りて自宅で鑑賞したら、非常に記憶に残る映画になると思う。この作品は今から19年前の2001年の映画である。私がこの作品を初めて見た時は今から6年前ほどだろうか、ヘイデン・クリステンセンの作品を集中的に見ようとしたときに出会った。

この作品も私の嫌いな全米が泣いた、全米が感動したと言う謳い文句があった。なんで全米がと疑問を持ちながらこの作品のことを少し調べてみた。するとアメリカ人にとって家と言うのは大切なものらしく、西部開拓時代の昔から、彼らは何もない平原に家を作り、そして家を作っていたと言う歴史がある。アメリカ人にとって家とは人生そのものであり、心の拠り所と言うことなのだろう。調べているうちにイギリスの首相ウィンストン・チャーチルの言葉も発見した。その言葉を引用する。"家を造るのは私たちだが、その後は住処が私たちを造る"とのことである。

自分でも不思議で、この映画がすごく好きである。なんでなんだろうと色々と考えてみた。繰り返し映画を見ているうちに、この作品には喪失感を味わなくてすむ息子の姿がある。これに対してすごく感情移入できたのだと思う。この作品の主人公のジョージは息子サムと対立をする。毎日が喧嘩である。そういった中、父親が死ぬ前に息子と和解できて…いわゆる、何かを失ってからその大切さに気づくと言う辛く醜い喪失感を味わう前に父親を送ることができた息子の分かち合う勇気と相手を思いやる心が個人的にはすごく身に染みたのである。誰しも必ず訪れる親との別れ(喪失)、それを優しく丁寧に描いたこの作品は胸を打つ。

本作がどのような形で日本で上映されたかは知らない。だがきっと物語の雰囲気からすると単館で、ごく短い期間に上映されたと思われる。そういった作品は実際にレンタルされたときには大作映画のように何本も陳列されるものではない。大体ラックのコーナーの一角に1本だけ埃をかぶって置かれるものである。そういった映画こそ素晴らしいものを多く感じるのである。昔、台湾の監督のチャン・ミンリャンがこう言っていた、"客の動員数で映画の善し悪しを決めるな"と…。まさにその通りである。本作の父親を演じたケヴィン・クラインはアカデミー賞受賞経験を持つだけに、素晴らしい演技をしていた。そして当時若手俳優(スター・ウォーズに出演する前の)カナダ出身のクリステンセンのパンクなアウトロー少年も素晴らしく演じきっていた。2人に負けずと母親役を演じたイギリス出身のクリスティン4スコット=トーマスの温かい母親像は、この作品を高みへと押し上げた強力なものであった。

しかもこの作品は日本では滅多にお目にかかれないオリジナルである。ジャック・ニコルソンが確かオスカーを受賞した「恋愛小説家」の脚本家でノミネートされたマーク・アンドラスが執筆している。そしてアカデミー賞で撮影賞を受賞した(未知との遭遇)ヴィルモス・ジグモンドの美しい風光明媚な海辺のショットは脳裏に焼きつく美しさだ。

さて、物語はジョージ・モンロー42歳。彼はCG全盛のこの時代に便利なコンピューターを使用せずに、手作りのモデルを作ってデザインする建築デザイナーだ。彼には、既に別の人と再婚している元妻ロビンと16歳になる反抗期のパンク初少年の息子サムがいる。2人ともジョージに我慢できず20年前に彼の元を去っていったのだ。彼の同僚は、ジョージが最近痩せてきて具合悪そうなのを心配する。ある日、彼は20年間務めてきた建築事務所をいきなり解雇される。激怒した彼は事務所にある自分が今までに作った建築物のモデルを全て棒で叩き壊す。勢い良く事務所を出たら倒れてしまう。彼が目覚めた時は病院のベッドである。そして医者からどんな処置をしたとしても残りわずか3ヶ月の命だと宣告される…。

本作は冒頭からユーモアがある演出が見られる。まず父親が海に向かって立ちしょんべんをする。カメラは美しい海辺の風景を捉える。それを向かいの近所の娘がニコニコしながら見ているのを見たその母親が、彼に注意すると言う場面から始まる。続いて、彼の元妻である家族の家にうつりかわり、息子がベッドから目覚める場面、早速布に染み込ませた品シンナーをクローゼットから首をつるような形で輪っかを作り、そこに首を入れてもたれるように全身の力を抜き、袋に口と鼻を入れて吸い込む。重さに耐えられずポールが落下し彼が落ちると言う場面に遭遇し、母親が1階から彼の部屋の2階へ上がってくる。

続いて、元父親に頼み込み、どうにかしてほしいと言うがどうにもならない。今の夫は息子には少しばかり冷たい。オカマと言う程だ。そして元夫のジョージの職場へのシーンへ変わり、彼が解雇される。怒った彼は自分の作った模型を全てぶっ壊す。怒って会社を出た瞬間に彼は倒れてしまう。彼が目覚めると病院の一室へ。ナースの女性がそっと彼に触る、彼は久々に人に触られたと喜ぶ。そして土砂降りの中妻が車で迎えに来る。そして彼は荒屋を壊して家を作る事を伝える。そして明日から夏休みと言う事で息子を引き取ることになる。


続いて、息子サムの部屋にジョージがやってくる。音楽をガンガンにしている部屋で音を小さくしろと言う。そして2人は喧嘩口調で話す。息子はお前の家なんかに行きたくないと言うが、結局のところ無理矢理行くことになる。そして夕暮れの時、彼の荒屋で2人の会話が始まる。すると父親が崖の上から海へと落下する。それを見て息子は驚き助けに行こうとするが、平気だったため怒って帰る。すると向かいの女の子に遭遇する。彼女は毎日ここにいれば会えるじゃ無いと言い、彼と話す。翌日、天気の良い朝。上外で半身裸で眠っている息子に日焼け止めを塗ろうとするが俺に触るなと怒る。そこに近所の女の子がやってきて、サムに塗ってあげる。ここにはシャワーがないから最悪だと言って、家にシャワーがあるからいつでも来てと彼女に言われる。

昼食。ジョージがターキーサンドを作るが、息子は嫌いだと言う。そこに母親がピザを差し入れで持ってくる。父親はそろそろ俺の仕事の手伝いをする頃じゃないかと頼むが彼は無言である。その日の夜、向かいの人がガレージに息子と一緒に寝ている事は法律違法だと警察を呼んでしまう。警官がやってくるがジョージはゲストハウスとして作っているから法律に触れないと言う。一方、息子は向かいの女の子の部屋のシャワーを浴びている。そこに学校の友達がやってくる。彼は悪友からマリファナ(葉っぱ)を受け取る。そこへ警察官がやってきてサムが逃げる。翌日、荒屋を壊しているジョージと奥さんが会話をしているシーンへと変わる。

彼女は子供を迎えに行くまでこの荒屋を壊す手伝いをするわと言ってハンマーを持って壊し始める。カメラは空中撮影で荒屋を捉える。そこへ息子が帰宅する。するとそこへ市の監査官がやって来て、部屋にトイレとの仕切りがないのは法律違反だと言ってくる。すると息子が隠し持っていたドラックを彼が捨てたことによって息子が割り込んでブチ切れる。彼はトイレに流したと言う息子が絶望する。一方会話をしながらジョージはトイレの仕切りを作っている。監査官はその場から立ち去る。そしてガレージの扉を閉めて息子と父親の真剣な会話が始まる。カメラは2人のクローズアップと捉える。

続いて、友達から預かっていたドラックを弁償しなくてはいけないと言うことで嫌々ながら家を壊すのを手伝う。やがて、2人の間に緊張感はなくなり、少しずつ友情が芽生え、絆が作られていくのだった…と簡単に説明するとこんな感じで、余命3ヶ月の父親と反抗期の息子の家づくりを映した傑作の映画である。 本作には面白いエピソードもある。それはひと夏の不倫である。向かいの女の子の奥さんはサムの友達と関係を持つし、その娘はサムの父親ジョージにキスをする。軽いタッチで断片的に描いているのも楽しい。決して重苦しい作風にはしていない。そんで、ジョシュ(友達)や家族みんなで荒屋を立て直していく。



いゃ〜久々に見たが素晴らしい。見ているこっちがものすごく感動するが、物語の中身はなんとも過酷である。余命3ヶ月と言われて体力を使う家づくりをするということが、いかに大変なことか、そもそも自分に置き換えてしまうと、果たして家造りなんてやってる場合だろうかと頭によぎるはずの自分がいることに薄々気づいてしまう。誠に情けないものである。この映画は父親の挑戦であり、家族の挑戦でもある。冒頭から壊れきった家族がより集い、力を合わせて一戸建てを作る。唯一の救いは目の前に広がるコバルトブルーの美しい海の風景だろう。それを見ながら、風になびかれ空気を吸い、幸福な家族であった標を家と言う形に表し自らの手で建てようとする父と息子の強い意思がフィルターを通して観客の肌に伝わる。

そもそも大抵の人間は自分が住む家を作ったりはしない。それは専門の職種の人に頼み作ってもらう。我々はそれに対して対価を払う。もしくは代々受け継がれてきた先祖の家に住む。本作は決してアメリカ人だけがわかるようなストーリーではない。我々日本人にとっても多くの理解を得れるいくつものシークエンスがある。あえてネタバレになるためそういった場面に言及はしないが、ふと過去の自分の人生を振り返って家族全員で何か力合わせて作り上げたものがあるか考えてみた。するとそういったものは何一つない。悔しい。私も家族と共に何かモニュメント的なものを作って将来の子供に話をしてみたかった。

私は小津安二郎の作品が好きである。それは主人公が人間以前に家だからである。家と言うのは人の拠り所、すなわち依拠なのだ。家は子供にとっての獅子の懐である。誰しも守りきれない急所がある。獅子にも急所がある。それを必死に守るのは当たり前である。もし子供が外で危険な目にあっても、家と言う懐に入ればそこには家族がいる。家族が急所であるなら家は獅子なのだ。そう家は家族を護るもので、依拠していくものである。わかりづらい例え話をして申し訳ないが、簡単に説明すれば絶対的に守らなくてはいけない急所を守ってくれる存在が家と言うことである。動物のライオン(獅子)は強いが、急所もある。それを守るならなら必死になる。それは人間も家も同じである。

それにしてもロケ地の南カリフォルニアのパロス・ベルデスと言う半島は非常に綺麗だ。まさに引き出される理想の海辺の家の魅力がある。そんな綺麗な郊外住宅地でご近所同士があまり会話をしないと言うのは今になってはそこまで珍しくは無いが、アメリカにもそういった寂しいご近所関係があるのだろう。そういった場面を見るとサム・メンデス監督の「アメリカンビューティー」のご近所を思い出してしまう。それと本作で夫婦が踊る感動的なシーンに流れる青春の光と影がまた格別に画似合っていて泣ける。ミッチェルの曲を使うとは…流石60年大から活躍していた監督兼製作のお人だ。
最後に、この映画を見ると今は先延ばしにしている自分のやりたいことを早めに成し遂げようと思わされる1本である。

余談だが、海外プレスシートに載っていたヘイデン・クリステンセンに父親が余命数ヶ月のことを伝えて彼がショックを受ける時に、クソ親父と言う壁を殴るシーンがあるのだが、あれは彼のアドリブで実際に硬い壁を叩いたことによって手が腫れたとのことだ。
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