ふくろう

三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実のふくろうのレビュー・感想・評価

4.3
熱量を作り出すのはやはり相手への信頼なのだと思う。同じ言葉が通じて、ユーモアが共用できる。その確信があるから、想いを自分の言葉のまま思考と同時に発露できる。そのリズムと飾らない言葉、ともすれば論理的に整理されていない感情が先行した言葉の応酬が熱を生み加速していく。
彼らの中には教養の共有が出来ているという信頼があるようにみえた。実際に共有がされていたのかは知らない。ないのかも知れない。言葉ひとつひとつはきちんと理解されていない部分もあったと思う。だけれども、信頼が込められた言葉に乗せられた想いは伝わり白熱した議論を作っていた。信頼が熱を生み、熱が想いを伝える。
もしかしたら、熱が足りないとき想いを伝えるために暴力や死や生という燃料で加速をつけざるを
得ないのではないだろうか?

小学校、中学、高校、大学、学生の時は思い出を振り返れば確かに熱かった。言葉を素直に口にしていた。わかりやすく噛み砕こうとか理解させてあげようとかそんなことはあまり考えてなかった。考えるまでもなく、同じように育ち同じような環境で生きている友人たちには、自分の思考を理解するだけの素地があることを確信していた。納得はするかわからないけど、相手が持つ教養世界の中で、どういう思考経路を辿るかがわかった。だから、言葉が抽象的過ぎたり、完全でなくても理解できた。だから、素のリズムで言葉や感情、笑いを共有し熱が産めた。

さて、今、自分の中に熱はあるか?熱量の中で生きているのか?信頼を勝ち得ているのか?