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マリグナント 狂暴な悪夢の湯呑のレビュー・感想・評価

マリグナント 狂暴な悪夢(2021年製作の映画)
5.0
もちろん、これまでジェームズ・ワンの才能を疑った事は一度もないが、まさかここまでの高みに辿り着くとは…ホラー映画ファンのみならず、全ての映画ファンに観て頂きたい今年度ベスト級の傑作である。とにかく、本作から窺い知れるジェームズ・ワンの映画的教養の深さは並大抵ではない。例えば、ワンは主演のアナベル・ウォーリスに対し、以下の4作品を事前に観ておく様に伝えたらしい。
・アービン・カーシュナー『アイズ』
・ウォルフガング・ペーターゼン『プラスティック・ナイトメア/仮面の情事』
・ダリオ・アルジェント『サスペリアPART2』
・ブライアン・デ・パルマ『ミッドナイトクロス』
基本的に本作のプロットはこの4作を組み合わせたものだと言えるだろう。たまたま殺人現場を目撃してしまった主人公が事件に巻き込まれていく『ミッドナイトクロス』や『サスペリアPART2』のプロットを基本線に、『アイズ』の幻視という要素を導入する事で主人公と殺人鬼の知覚を同期させ、『プラスティック・ナイトメア/仮面の情事』の様な記憶喪失サスペンスへと接続する。しかし、本作はそれだけに留まらない。ジェームズ・ワンはそこに悪夢やイマジナリーフレンド、悪魔憑き、ポルターガイスト、シリアルキラーとホラー映画でおなじみの要素を容赦なくぶち込んでいくのだ。
だから、観客は物語がどこに向かうのか分からないまま、鼻づらを引き回される事になるだろう。特に、ホラー映画マニアであればあるほど、本作の展開には面食らうに違いない。というのも、私も含めたホラー映画ファンというのは、あらゆるホラー映画のパターンに精通していると思い込んでいて、どんな作品でも「これは『悪魔のいけにえ』みたいな話だろう」とか「これは『エクソシスト』と『ゾンビ』を組み合わせた話に違いない」といった風に、過去作品のパターンにはめ込んで解釈しようとする。ところが本作は、ストーリーが進展するにつれ次々とジャンルが移り変わり、『ローズマリーの赤ちゃん』みたいな話かなと思えば『ポルターガイスト』の様な演出が入り、『エルム街の悪夢』から『悪を呼ぶ少年』っぽい展開になり、『悪魔のシスター』や『バスケットケース』を想起させつつ、最後の最後に驚天動地の結末へと辿り着く。ホラー映画マニアは自分の予想が次々と裏切られ、いつの間にか見知らぬ世界に連れ去られた感覚を味わう事だろう。
ジェームズ・ワンの演出も『死霊館』や『インシディアス』で見せた古典的な恐怖描写は勿論の事、終盤には『アクアマン』の如きスタイリッシュなアクションまで盛り込み、終わりまで息をつかせないジェットコースタームービーに仕上げている。にもかかわらず、『マリグナント 凶暴な悪夢』にはジェームズ・ワンの作家性がはっきりと刻まれているのだ。私は以前、ワンやその盟友であるリー・ワネルのホラー映画には「自分が誰かに見られている」という相互監視社会における強迫観念が反映されている、と書いた。その意味で本作は「見られている」恐怖ではなく「見る」恐怖を描く方向へシフトした様に見えるかもしれない。しかし、あなたが相手を見ている時、相手もまたあなたを見ている筈だ。ヒッチコックの『裏窓』において、ジェームズ・スチュワートは殺人現場をアパートの窓から目撃するが、映画の後半で逆に犯人にその姿を見られてしまい、命を狙われる羽目になる。つまり、一方的に「見る」立場など存在せず、「見る」と「見られる」は常に表裏一体なのだ。本作がこの表裏一体、という関係性を重視している事は、ご覧になった方なら先刻ご承知の筈である。
確かに、本作は数多のホラー映画を融合させたアマルガムの如き代物に違いない。その意味で、ここにはオリジナリティというものは一切存在しない、とも言えるだろう。それでも『マリグナント 凶暴な悪夢』はかつて味わった事のない未知の体験を観客にもたらしてくれるのだ。この様なジャンル・ミックス的手法はクエンティン・タランティーノ的と言えるかもしれないが、ジェームズ・ワンはこの野心的な試みを2時間弱の映画に過不足なく収めてしまう。まさに圧巻の離れ業、全人類必見の大傑作、絶対に観るべし!
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