なかなか旅行に行きにくいこのご時世、ご当地色が強い邦画をついつい観たくなる。
舞台は秋田、男鹿半島。
父親になれず秋田から逃げ出し、東京に何かあると思って暮らし続ける主人公のたすく。
そんな彼と親友・志波の会話に、自分も男鹿半島の海岸にぼーっと座ってるような気分で耳を傾ける。
コロナ禍でも散々話題になった地方と東京の差異、地方移住への関心の高まり、人口過密地帯である東京に住み続ける意味。
一見何でもあるように見える東京には、実は何もない。私たちを取り囲むモノたちが多いだけで、みんな傍らを素通りしていく。
それに比べて自分たちの地元には秋田には、何もないけど、全てがある。
シンプルな言葉でたすくに語りかける志波のキャラクターは押し付けがましくないのにどこか達観していて、でもたまに幼い表情が魅力的に見えた。
結局たすくは最後まで父親にはなれなかったと思う。
なまはげは神様だから、何をしてもいいんだと言った人が劇中にいた。
自分ではない、なまはげの、神の姿を借りればこそ、たすくは自分に付き纏う「父親」というふわふわした概念を蹴り飛ばして、やっと子どもに向き合えたのだ。