ShinMakita

キネマの神様のShinMakitaのレビュー・感想・評価

キネマの神様(2021年製作の映画)
1.1
借金まみれの競馬好きで呑んだくれの爺さん円山郷直(ゴウ)。そんなゴウの尻拭いで日々苦労しているのが妻・淑子と娘の歩だ。2人はゴウの依存症克服のため、通帳やカードを取り上げ、娯楽は「映画」だけと厳しく言い渡すのだった。そんなわけで、いきつけの名画座「テアトル銀幕」に足が向くゴウ。その昔、ゴウは映画を愛する青年で、撮影所の助監督として忙しい毎日を送っていた。スクリーンに当時の映画がかかると、あの懐かしい日々が脳裏に蘇ってくる…


「キネマの神様」

以下、ネタバレの神様。


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うーむ…

いわゆる「貶すと非国民扱いされる」系の映画です。山田洋次が監督だし、志村けんが亡くなってるしで、もう泣く前提というか、褒める前提というか、感動しないと殴られそうな圧を感じてしまう映画です。

ですから、映画ファンの皆様は、ぜひ劇場へ!


はい。

以下、本音。

「…感覚が古いままのお年寄りが語る若干ピンぼけなノスタルジーに付き合わされる2時間」

これに尽きるかなぁ。

まず、凄く気になったのは年代設定ですよ。現代…2020年時点で78歳のゴウが助監督の時代は、どんなに昔に考えても55年前。すなわち1965年前後ですよ。その時代にすでに清水宏は引退して小津安二郎は亡くなってますし、東宝は特撮、日活はアクション、大映は時代劇とアクティブな印象で、松竹はどちらかと言えば芸術系で地味だった時代。すでに大船メロドラマは古いとされていましたよね。木下恵介などが現役だったものの、この当時助監督で新しいモノを作りたい情熱があるならやはりヌーベルバーグの洗礼は受けていただろうし、もっとダークな作品になっていたと思うんだよね。なのにノー天気な「キネマの神様」…それもキートンの探偵学にヒントを得た、映画と観客の垣根を超えたファンタジーを作ろうとするのは、まさに時代錯誤な気がしてならないんですよね。このゴウの感性や出水宏監督などが実在感を示すのはやはり1950年代なんですよ。つまり、現代の設定を2020年にしないで、2000年-2010年くらいにしておけば良かったんですよね。撮影所の雰囲気や衣装も、とても60年代じゃないし、違和感が半端ないんです。

脚本「キネマの神様」も違和感。前述したように、プロットは「カイロの紫のバラ」の丸パクリです。それはまだ良いとして、この脚本が2020年に賞を獲るという展開がありえないと思うんですよ。すでに「今夜、ロマンス劇場で」も封切られているし、そもそも「カイロ…」がある時点で受賞は無いでしょう。山田洋次の世界線上には、コロナは在ってもウディ・アレンは存在しないようです。

というわけで、山田洋次解釈の「昔の撮影所の思い出話」(年代不詳)と山田洋次解釈の「現代人の生きづらさ」を無理やりくっつけた、結構なワンマン映画でした。「ポンポさん」の時にも思ったんだが、「観る悦び」と「作る悦び」が曖昧に「映画好き」で一括りにされているのも個人的にダメだったポイント。


「…感覚が古いままのお年寄りが語る若干ピンぼけなノスタルジーに付き合わされる2時間」

というと大林宣彦と同じだけど、大林さんの方はセンスオブワンダーに溢れて何より尖ってました。まあるい「いつもの」山田洋次がやると、ただの爺さんの思い出話に付き合わされてるだけになるってことです。「たそがれ清兵衛」や「霧の旗」のダークさ、民子三部作のような重厚さのあるドラマは、もう期待できないのかもなぁ…
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