爆音上映向き。
ショーン・プライス・ウィリアムズの疾走感ある動的カメラの醍醐味。
音楽家でもある監督の音、音楽への拘りがハンパない。
(写真美術館ホールが誇る音響設備がフル稼動?な感じで爆音上映に近かったと思う)
オカルト的な要素がSF設定の中でバランスを取っている。オカルト好きにもウケそう。
撮影中はどこへ行っても怒られて行き場がなかったとのこと。映像の撮影で精一杯で音まで撮れなかった事情もあったが、
後で作ったサントラには相当な時間をかけたそうだ(音響デザインにニコラス・ベッカーを迎えている。音楽は前2作と同じ服部峻が担当)
49分の尺は
遠藤監督も語っていたが
(見る側のコンディションによって)
長くも短くも感じるのではないか。
『KUICHISAN』でも感じたが遠藤監督は作品の中で時間の感覚を操ることが巧みだ。
パクストン・ウィンターズ監督『ファヴェーラの娘』を見た時、東京オリンピック前の東京の変貌から撮影して映画を作っている人いないかなと思った。
遠藤監督は東京が舞台の長編を準備していて、
脚本は3年前に既に書いたのだそう。
本作とは違うものになるとのことだが、2023年までには完成させたいと語っていたので楽しみである。
恵比寿映像祭「再生される現在-現代映像短編集[アイリー・ナッシュ(ニューヨーク映画祭)・セレクション②]の中の
メリエム・べナーニ『パーティー・オン・ザ・キャップス』(瞬間移動が普通になっている未来にアメリカが突然移民の受け入れをストップしたため、瞬間移動の途中で肉体が再生されてしまい奇形が生じてしまった人々が集められ暮らす大西洋の中心にある人工島が舞台のSF)との関連性を考えながら見ていた。
コロナウィルスのために東京オリンピックが中止されることになったらこの映画の予言性がもっとフォーカスされるのではないか。2018年に撮影されて今公開されることにも因縁を感じる。
(監督は本当は昨年10月に公開したかったが事情があって今になったと話していた。コロナウィルスでこの先どうなるかという、今まさにこの時にジャパンプレミアとなり、5月にイメージフォーラムで一般公開となる頃には東京オリンピックの運命も決まっているだろう)