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二重のまち/交代地のうたを編むのbombsquadsのネタバレレビュー・内容・結末

2.8

このレビューはネタバレを含みます

20221026 自分用忘備録
【解題】
東日本大震災の被災地を訪れた若者たち。被災者の記憶を聞き取り、受け取って、体験として語り直す試み。その場が「交代地」。「二重のまち」とは、盛り土された現在の被災地と埋め立てられた古層の土地、被災前のまちと現在のまちとの重なり合いのこと。同時に、土地に縁のなかった若者が、その土地にあって交代者として生を重なり合わせようとする試みのことも指しているのだと思った。映画というよりも、ワークショップの記録という内容だった。

【感想】
若者たちによる「体験の聞き取り、再体験、語り直しを通した継承」という試みは、演劇や物語の萌芽を再現するようなものだ。それを記録する作業は、もっともプリミティブな劇映画のようなものに成り得る試みだと思う。
そのような継承は、それが可能であれば教育的に素晴らしいことだと思うし、映画的にも価値あるものになったと思う。が、そのそもそもの困難さと、2週間という期間(の短さ)、この試みに通底してみえた即興的な方法論などによって、成功を収めているようには見えなかった。
どの若者も誠実な試みをしていたと感じるので教育的な価値があったことは認めるが、彼ら彼女らの「語り直し」の中に、何か魔法のような、奇跡のような瞬間を見出せたわけではなかった。また、この試みでは「語りを渡す側」の作業も大切になると思うが、ワークショップ的な意味でそのような作業に適した準備運動が十分に行われていたようにはみえなかった。総じて、参加者をただ混ぜ合わせただけのような、野心的な企図に比べて方法論に欠けすぎている、即興的すぎた営みという印象を受けた。自分は「映画の奇跡」のようなものを期待して視聴したので残念だった。

結局「体験の個人性」ということを意識させられた。殊に、若者それぞれの「語り直し」の中には、自分の体験として語ることの困難さから、自分に近く語るための「語り替え」の試みが含まれていて、その小さな1つ1つには、普遍性への希求に繋がるものを感じたが、個人性へのあくなき回帰があってこその企画意図の達成だと思う。そういう部分をハンドルしていないところにも企画の弱さがあったと思う。

【総論】
厳しいようだが、企画倒れだったと言いたい。もっともっとすごいものを期待していた。
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