二重のまち/交代地のうたを編むの作品情報・感想・評価

二重のまち/交代地のうたを編む2019年製作の映画)

上映日:2021年02月27日

製作国:

上映時間:75分

あらすじ

「二重のまち/交代地のうたを編む」に投稿された感想・評価

GON

GONの感想・評価

4.2
やっぱり小森さんの映画は言語化するのが難しいのだが、凄い。

『空に聞く』では小森さん自身が取材を進める場面が観られたがこの映画ではその役割(+継承という儀式)を4人の若者に託す。
そして小森さんはそんな彼らを被写体として捉え、カメラに収めることに徹する。

そして若者たちが「『二重のまち 2031年 ・・・』」と語り出した瞬間、カメラがドキュメンタリー的動きから映画的構図の静寂へと切り替わる。小森さんはこの切り替えがとにかく上手い。もはや若者の語りに集中させる気なんてねぇだろと思われる程に構図がキマっている。
さらに冬の章の最後に流れる夕方のチャイム(偶然か意図的かどうかは定かではないが)は紛れもなく映画の奇跡である。
極楽蝶

極楽蝶の感想・評価

3.0
東日本大震災の被災地で訪れた若い人たちのそこでの経験・体験が唄になっていく不思議な感じの映画。
青

青の感想・評価

3.5
「真実」はどこにもないが諦めてはいけない。そこにある浪漫を求める営みこそが人生の魅力の一つなのだと思う。
マチ

マチの感想・評価

3.7
震災の起こった「事実」を語るのは安易でも、被災者たちの「真実」に触れてしまったとき、言葉には戸惑いが生じる。

劇中に登場する若者たちは、受け取った「真実」たちに言葉を失う。自分を介して発する言葉が、「真実」から遠くなったり、着色してしまったりすることに怯える。

「どうしたら上手く伝えられるのか」
その答えは多分「ない」と思う。
当事者を完璧にアドボケイトできると思った瞬間、相手を最大公約数で一般化し、類型的に解釈してしまっているからだ。

この作品は、伝えることの困難さにとても誠実である。フィクションとノンフィクションの境目から、困難さを困難なまま少しも解消しようとせず、正確さよりも、「真実」の濃さや質量をフィルムに定着しようとする。

そのせいもあってか、フィードバックがほかの映画に比べて強く、短い上映時間にもかかわらず見終わったダメージが大きかった。

出来事から見える「事実」は同じでも「真実」は人それぞれに異なる。その違いを的確な言葉にはできないことは、ひとりひとりは尊ぶべき存在だとする証明でもある。
本当はそのことを人物たちの困惑を通じて、作品は語り継ぎたかったのかもしれない。
sci

sciの感想・評価

-
作中で読み上げられる詩が瀬尾夏美によるものだと知ったのは後のことで、陸前高田を訪れた4人がそこで感じたことを文章にしたものだと思っていた。先に思いがあってそこから現場に行くというのがどのような作用を及ぼすのか分からない。

でも若い4人が住民と交流し話を聞き、彼らの生活を知り、それでも現地の人たちの気持ちを自分たちは伝えきることはできないんだと苦悩する姿には、そう思ったことがすごく尊いし、もう十分だよ、と言ってあげたくなった。
なか

なかの感想・評価

3.9
何年か前に見た「息の跡」の監督・小森はるかさんが映す非当事者の語り。

4人の旅人が、現地で震災経験者との交流を通じて、言葉にして、カメラに向かって、もどかしさを持ちながらも、丁寧に誠実に紡いでいく。残すべき作品。
カロン

カロンの感想・評価

3.9
好評のレビューを観ていたので、劇場公開の機会に鑑賞。
東日本大震災を、外部の語り手が語る(のを観る)という作り。これによって震災が、私のような外部の人間にとっても自分ごとになる、という意味で、ひとつ意義のある構造をとっていると思う。

実際にこの震災は、外部の人間である私からすると、コンテンツとして参照すること、間違ってもエンタメとして消費することを忌避してしまうような、重い事件だったという感覚が強い。(だったら過去の戦争や虐殺はどうなんだ、という想いはあるが…)
ただ、地続きの土地で起きて、時間的には自身の生と重なったこの大震災の半当事者として、この震災と向き合うことになってきた、外部の我々への映画だという感覚が残った。
映画終盤、夕暮れの街で若者が物語を朗読する。物語的に非常にいい場面だと思ったが、意外とサクッと終わらせる。あくまで主題は語りの伝播であり、気持ちよく消費されるエンタメでは終わらせない。

自分の中ではより自分ごととしての意識が薄い凄惨なもの、それこそ過去の戦争や虐殺、遠い海の向こうの大震災、現在進行形で実在する社会問題についても、外部から語っていいのかも?と思わせてくれることは、大きな意義があったかも。

大学時代、震災を学習の題材に被災地に赴いたことも、必然的に思い起こされる。陸前高田と異なり、原発事故の影響が大きかった地区に赴いたので、震災の傷跡についてそこで語られるニュアンスは違ってくるが、それでも今作と同じような構造がある。特に我々、部外者にとっては。
作中と似たように、当事者の語りに耳を傾け、それを同じ生徒と共有した時間もあったが、やはり今思い返すと忘れているところも多い。それに覚えているのは、自身が生の言葉で聞いた体験ばかりだ。語りのリレーの、有意義さと貧弱さを同時に感じる。作中にもあったように、語りは100%そのままの内容で伝播するわけではない。それは対話という営みの性質上、もちろんそうだ。発話され、それが受け取られた時点で、それぞれのものは別物である。それでも、その対話に何らかの意義を見出せそうな気にしてくれる、そんな作品ではあったと思う。
大学時代のこの体験がなかったら、だいぶ鑑賞感が変わっていたかも。

当時のノートを見返したくなったが、今の住まいにはなかった。実家の机の棚だろう。今度、ちゃんとまた開いてみたいと思う。
さくや

さくやの感想・評価

4.0

このレビューはネタバレを含みます

わざと眠く撮られていると思うが、それがよかった。
髪がくしゃくしゃの人の語りが好ましかった。
ちょっと、まだうまく言葉にできないのだが、ラストの風景はきっと俺自身の昔の通学路が偶然撮られたものと錯覚してしまって、それは撮られているのが物象化されたどこにでもある風景のようだということでもあるかもしれないが、それを超えた新鮮な衝撃が既視感の裏切りではなくむしろその既視感のうちにあった。もちろん、新たな語り手の住む街を映し、語り継がれてゆく物語の片鱗を残すと言う意味では、その結部はむしろ予定調和的なものだが、それにも関わらずそれは衝撃的だった。それは冒頭に書いたような、ワークショップ参加者の発話のいかにもその場で考えているのだろうと言うふうな、パッケージ化を経ていない語りを経て初めて可能になる感慨であったと思う。郵便伝達車の赤を忘れることができない。
誰かの体験を受け取り、それをどう引き継げるのか。四人の外からやってきた若者の再話とフィクションの物語を通して問いかける。震災を体験した当事者が前面に出ない、野心的なドキュメンタリー。

震災を忘れないために、それを知らない外からやってきた人が記憶を引き継ぐのはどうしても必要になる。登場人物も、監督も、そうするにはどうしたらいいかを真摯に考える。このような試みをとても貴重に思う。過度な演出などないのに、映像がとても魅力に富んでいて、見る者を引き付け続ける。それもこの作品を遠くに飛ばす力になっていると思う。
1回目に寝てしまったので2回観た。
ワークショップを通じて、非被災者の4人の男女が被災者の話を聞き、自分たちの中に記憶として被災者たちの痕跡を引き継ごうとする。しかし、「他者は完全に理解することはできない」という誠実で謙虚な前提に立った上で、被災者の痕跡を引き継ぐという重荷を背負った4人は被災者の痕跡の実態を掴み"あぐねる"(パンフの濱口竜介のこの表現が的確過ぎる)。人間の脳には限界があるため、その他者の痕跡は取捨選択され、記憶からこぼれ落ちるもの、次第に忘れさられるものもある。聞き手から語り部として自身の言葉を通じてカメラに語りかける際に、その限界を自覚した上で、こぼれそうになる記憶の断片を丁寧に汲み上げて、慎重に他者の痕跡を伝えようとする4人の姿勢はあまりに誠実で、自分の人に対する態度はなんて不誠実なんだろうと責めたくなった。まずは誠実な聞き手でありたい。
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