Iri17

君は永遠にそいつらより若いのIri17のレビュー・感想・評価

4.5
noteに詳しくまとめたので以下コピペです。

津村記久子の小説を、主人公ホリガイに佐久間由衣、イノギ役に奈緒を据え、『スプリング、ハズ、カム』の吉田竜平が監督した作品。

何気ない日常を描きながら、その日常に付着する死、暴力、閉塞感、自己嫌悪、絶望を佐久間由衣と奈緒が素晴らしい演技と表現している。

冒頭、ホリガイは大学のゼミ飲みで男友達に処女であることや就職する児童福祉司の仕事のことを揶揄されるが、怒ったりまともに反論することもなく、その場をテキトーにあしらう。ホリガイが自己や他者に対して真摯に向き合わずに日々を過ごしていることがわかる。
そのゼミ飲みで友人の友人であるホミネと知り合ったホリガイは、ホミネに自分と共通する部分を感じ奇妙な友情を結ぶ。ホミネはアパートの下の階に住むネグレクトされている男の子を保護したことで、子供の母親に通報されて警察に逮捕されてしまっていたのだった。
ホリガイは哲学の授業で偶然出会ったイノギとも関係を深めていく。

「君は永遠にそいつらより若い」という台詞は、世の中の暴力や悲しみと言った「どうしようもなさ」に対するアンチテーゼだ。
ホリガイは処女である自分のことを「誰も手を出さない欠陥品」と言う。一見ホリガイは友人も多くいるように見えるし、人付き合いが下手な感じには見えない。しかし、ホリガイはその場を上手く立ち回ることができるだけで、実は自分にも他人にも真剣に向き合っていないのである。
自分に向き合うことができている人は案外少ないが、他人に対しては多くの人はちゃんと向き合えていて、親友を作ったり恋人を作ったりしているが、ホリガイは問題を起こさずに人付き合いをやり過ごすことしかできない。その結果、決して知り合いが少ないわけではないのに異性と関係を結んだことがない。

そのことが分かるのが冒頭の飲み会のシーン。馬鹿にされてもジョークにしてみたり、テキトーにあしらって、怒ったり反論することもなく都合が悪くなると別の場所に逃げてしまう。そのようなホリガイの性格が分かるシーンが作中にはいくつも散りばめられている。

視覚的に分かりやすいのが、飲み会のあと、ホリガイがホミネと帰路に着いているシーンだ。お互いシンパシーを感じているのに、2人の間には微妙な距離が開いている。

ホリガイは「結婚しちゃう?w」とおちゃらけて言ってみたりするのだが、お互いそれ以上核心に迫るようなことは言わない。ホリガイは自分に対して自信がなく、自分のありのままを曝け出して接することができないからだ。
一方のホミネは他人の愛を感じられない人なのだ。一晩飲み明かす様な友人もいるのに、自分が誰にとっても何の価値もない存在だと感じている。

大抵の人は逮捕された自分を警察署まで迎えにきてくれたり、一晩中2人で飲み明かしてくれる人がいたら友情を実感できるものだが、ホリガイやホミネのような「欠陥品」は決してそれを信じることができない。
自分が信じられないホリガイと他人が信じられないホミネは対照的であり、本質的には似た者どうしだ。だからお互いに惹かれている。その感情は恐らく恋愛的なものとも少し違っていて、同族を見つけられたちょっとした安心感の様なものに近いのかもしれない。

決して他人に向きあってこなかったホリガイが、イノギとの出会いによって少しずつありのままの自分でいることを覚える。社会や人間の「どうしようもなさ」に対するせめてもの反逆が「君は永遠にそいつらより若い」という言葉に集約されている。

この言葉自体も、映画全体も決して綺麗にまとまっているわけではない。だがその混沌とした感じが、ホリガイの複雑な人間性とシンクロして映画を魅力的にしている。

「うまく生きていく」ことしかできなかったホリガイが、ホミネの生前の行動に感化されてとった、終盤のある行動がこの映画を最高に不恰好で最高にボロボロなビルドゥングスロマン(人間的成長の過程などを描いた作品)たらしめている。

僕はホリガイとホミネを合わせたような欠陥品にも程があるだろ人間なので、大変共感した作品になった。ちゃんと人間ができている人には刺さらないかもしれないが、興味がある方は是非ご覧ください。
Iri17

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