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僕たちの嘘と真実 Documentary of 欅坂46のmarimoのレビュー・感想・評価

5.0
私は彼女たちの未来を知ってしまっているから...どの場面においても今が過ってしまう

ドキュメンタリーと呼ぶにはあまりに劇的で、彼女たちの軌跡があらかじめ決められていたシナリオかのように綴られていく

欅坂46の終焉までの物語として

偶然にも公開が延期になった事で
本作には明確な結末ができた

...いや、そもそも当初の公開予定は延期を前提にしたものだったのではと勘繰ってしまうほどに

冒頭「ガラスを割れ」の東京ドーム公演から始まり、途中で2018年アリーナツアー千秋楽のものに切り替わる...この時系列を逆に切り替えた事で意味が変わってくる

再生を掲げたはずの東京ドーム公演が崩壊の終着地のように映る

そう、この映画は平手がセンターステージから転落するところから始まるのだ

当時、幕張メッセでこの瞬間を見た私は平手が落下した事よりも、直前の平手のパフォーマンスへの鳥肌が止まらなかった

センターステージまで1人走ってくる平手...前日の公演とは異なる展開に、演出なのかアドリブなのか分からないまま、その鬼気迫る圧力に打ちのめされていた

これが平手友梨奈の魅力なのだろう

感情を剥き出しにパフォーマンスする姿に興奮して、次はどんなものを魅せてくれるのかと期待が抑えられない

そしてそれは想像以上に過去の平手を超えていく

中毒のように求め続けてしまう

たとえ平手友梨奈の心が壊れ続けたとしても...

きっと関わるスタッフやメンバーたちも同じだったのではないか

観賞後タイトルの意味を考える
「僕たちの嘘と真実」

これは平手に関わった人間の平手に対する思いなのではないか...

“てち(平手)には感謝している”

あるメンバーの言葉の響きに違和感を憶える

これは真実でもあり、嘘なのではないか

平手の個性が醸し出す世界観がなければ欅坂46の成功はなかっただろう

...ただ同時に思うのではないだろうか
こんなグループでなければ良かったと

乃木坂や日向坂のような笑顔に溢れたアイドルとしての道もあったのではないかと

欅坂46は平手の圧倒的なカリスマ性で、アイドルではなく世界観を綴る表現者としての道を強制されてしまった

アイドルになりたかったのに、欅坂を表現する要素の一つになってしまった

多くのメンバーはアイドルになりたかっただけだったのに


ただ同時にこの環境によって目覚める新たな個性もあったのは事実

小池美波が平手の抜けた穴を埋めるために咄嗟に表現したもの、平手を追い続ける事をやめて自分自身と向き合って辿り着いた表現
平手では表現できないもの

それは欅坂の中に生まれたもう一つのカリスマ的な個性に感じた

しかし平手とは異なる個性を他のメンバーが辿り着くよりも平手を中心に広がる世界の進みが早すぎた

ギリギリ喰らいついて表現者としての個に辿り着けたのは小池美波ぐらいなもので、平手を失ったグループが新たに歩を踏み出すには多くのメンバーが平手の呪縛を拭えていなかった
グループを終える以外の選択肢が取れなかったのだろう

黒い羊のMV撮影後のシーンで平手に駆け寄るメンバーの中で1人だけ立って距離を置くメンバーがいた、鈴本美愉である

彼女は後に自らグループを離れるのだが、平手に駆け寄るメンバーたちに何を見たのだろうか?

私には平手を通して欅坂にしがみつこうとしているメンバーたちを冷めた目で軽蔑しているように思えた

平手を失う事を怖がっているメンバーたちを...

2017年紅白歌合戦の後に平手はグループを離れる決意をしていた

メンバーはそれを必死で止めていた

“てち(平手)にいてほしい”

これもまた真実であり嘘なのだろう

平手がいなければ欅坂46は成立しない恐怖が先に出た言葉なのだ

予定を掻き乱されても、声高に平手を非難することはできない
なぜなら平手の代わりにはなれないから
平手以上のパフォーマンスもできないから

自らの無力をひたすら受け入れるしかできない

芸能界にしがみつきたいという真実のために、平手に残ってほしいという嘘をついたのだろう

平手の「このグループにいて楽しいですか?」という質問に誰かが真実を返せていたら何かが変わっていたかもしれない

メンバーが取るべきだったのは平手友梨奈に寄り添うことじゃない、平手友梨奈にない軸を自らに向き合って引き出すこと

キャプテンである菅井友香が不協和音の時に平手に話しかけられなかったと発言するシーンがある
...彼女の性格を考えれば仕方がないが、キャプテンとしての覚悟が足りなすぎると言わざるを得ない
話しかける事が全てではない

副キャプテンの守屋茜に至っては、平手のバックダンサーでも構わないと思ってたと発言している...言語道断である

グループを引っ張るべき2人が平手を腫物に触るような距離感を作り
グループとしての進化の形を考えることを放棄しているのである

元々は欅坂のアンダー組織だった日向坂46が爆発的な成長を遂げたのはキャプテン佐々木久美の存在であることに疑いの余地は無い
嫌われる事を恐れずに、自分が思っている事を伝え、自分が信じているものを疑わない
これがキャプテンとして組織を導くという事である

はじめに小池美波の名前を出したのは彼女の言葉...覚悟にこの組織を導く意思を感じたからだ
小池は2018年アリーナツアー千秋楽で公演中に平手が出れないと知った2人セゾンで自らの意思でソロダンスを披露した

当時現場にいた私は、その小池美波に衝撃を受けた
...新しい欅坂を感じていた
当時はアドリブだとは知らなかった、演出だと思ってた、それでも世界観を共有しながら平手では表現できない異なるベクトルの欅坂をそこに見たのである

彼女がアドリブでソロダンスをする決意をした時、ファンを全て敵に回しても構わないと思ったそうだ

組織を推進するためのリーダーとしての資質が小池美波にはあると感じた

正しいと思った事を恐れても踏み込む力
平手友梨奈が常に感じているものに似ているのかもしれない

平手が欲しかったのはイエスマンではない、自分のパフォーマンスと切磋琢磨するような仲間が欲しかったわけでもない
自分のパフォーマンスと時にはぶつかる異なる価値観での表現者

小池美波は平手の触れていたものの片鱗に辿り着けていたのだろう

平手の孤独は、自分の触れているものに共感出来るメンバーがいなかった事

それでも平手が選んだ最後の曲が「角を曲がる」ではなく紅白での「不協和音」だったのは最後はメンバーと舞台に立ちたいという想いからだったと信じたい

曲の最後のポーズで自分の肩に添えられる手に対して自らの手を重ねる

これを最後と決めてパフォーマンスしたのが今だとわかる

「自分のパフォーマンスに納得がいかないと涙が出ない」
「いつかそんな日が来ますかね?」
無邪気に笑う若き日の平手

最後に平手が流した涙はどんな意味だったのだろうか
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